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伊藤緑
2019年9月11日 15:20
一 出産というものに初めて違和感を覚えたのは、私が中学生の頃でした。あなたが産まれたときです。 風が吹けば田んぼに緑の波が立ち、昼間は蝉の声が、夜はクビキリギスの声がする、そんな夏のことです。当時二十代後半だった叔母が、元気な赤ちゃんを、あなたを産み、私の家にやってきたんです。 あなたを抱く叔母と、その隣に立つ旦那さん、叔母より一回り年上の私の父、そして母。大人たちはみんな破顔していまし
2024年6月22日 22:30
今日も平気で嘘をついた。顔を覗き込まれても大丈夫だよって笑ってみせた。「平気?」って聞かれたら平気だよってやまびこになった。 にこにこ嘘をついていた。いいなって、何も感じていないのに言った。ほしいって、思ってもいないのに言った。なにあの人って、無感情で同調もした。 嘘はいけないことだってひどく怒られているところを、帰りのショッピングモールで見かけた。小さな子どもで、親らしい人に叱られてい
2024年6月4日 23:51
切ろうとした。言葉でできたハサミを使って。身体から。この世の地獄を。 だけど切れない。言葉で病は短くできず、老いは削ぎ落とせず、死は切り離せない。ほかのものも。 無理だと呟いた。そうしたら渡された。言葉でできた別のハサミを。刃先をこちらに向けられて。切れと言われた。受け取った。使おうとした。切れない。なまくらだった。 これでも無理だよって言ったら、奪い取られた。できるじゃないかって、