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自分は許されている、ということ。


COCOです🎈


母の一周忌をあげてもらった時、お坊さんから「自分は、許された存在である」という言葉を、いただきました。

お念仏を唱えていただいた後、仏教の教えを説く時間に、いただいた言葉です。


それ以来、この言葉が、ずっと頭の片隅に残っていて、私の心を、ほんのり温かくしてくれています。

そんな心の中を、ちょっとシェアしたくなったので、記事にしてみました。


お坊さんの言葉


母のお葬式の時から、お世話になっているお坊さんは、お念仏の後、仏教の教えを説いてくださいます。(他の方も、そうかもしれませんが)


その教えは、ざっくり要約すると、こういった内容でした。

「亡きお母様に、愛されたという、その思い出。それは、どんな時でも、お母様に見守られ、あなたたちの存在を、"許してきた"という証。自分たちは、許された存在であるのです。」


言われてみると「確かにすぎる・・・」と、納得。


過ちを犯した時、「それは、ダメなことなんだよ」と、教えてくれる母はいたけれど、「そんなあなたは、許さない」と、存在を否定する母は、いなかった。

私はいつでも、母に、いや、両親に「許された」存在だったように思います。


家族へのイライラも


この言葉を聞いてから、家族へのちょっとしたイライラを、「クスり」と笑いとばせる瞬間が増えました。

(もちろん、そんな余裕もなく、怒りMAX大噴火案件も、多々あります。)


家族の、何とも言えない、残念な一面を見たとしても「・・・でも、こんな一面も含めて、個性なんだよねぇ」と、受け流せるような感じです。

言うならば、完璧な子よりも、ちょっと不器用な子の方が、可愛く見えてきちゃうような、そんな感覚。

(何度も言いますが、容赦なく、雷を落とすこともあります。)


お坊さんの言葉は、ギスギスしがちだった私の心に、少しだけ油を差してくれました。


許された。だから、許せる。


こうやって、私が誰かを「許せる」こと・・・それは、両親から「許してもらった」経験があるからだな、と思っています。


人を「許す」って、どういうことか?もっと平たく言うと、人を「愛する」とは、どういうことか?

それを、自分たちの人生の時間の大半を割いて、私に教えてくれた両親には、本当に感謝です。


仏のように、何事にも感情を荒立てないのは無理だけれど・・・大切な人と、許し合って、のんびり生きていきたいな、そんなことを考える、昼下がりでした。


COCO🎈

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