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精神科歴8年、閉鎖病棟入院2回、障害年金受給の”終わってる”人生

初めて精神科の門を叩いてから、とうとう8年が経とうとしています。
8年という期間は当時10代の子供を大人にするには十分すぎる年月です。今では助けてくれ、この家、実家から逃げ出したいという思いで
もがき苦しむことはなくなりました。8年の治療と2回の閉鎖病棟入院には
多かれ少なかれ効果があったのだ、と思わされます。

私の家庭については割愛します。愛情の方向がとんちんかんな機能不全家族だったというだけ。しかし、その息苦しさに嫌気が指し、昨年の夏私は家を飛び出しました。

現在の診断と処方

現在の診断名は双極性障害、広汎性発達障害、不眠症だそうです。
処方は朝:ジェイゾロフト25mg、リボトリール0.5mg
   夕:インチュニブ3mg
  眠前:サイレース2mg、マイスリー10mg

最近不安になることが多いので、リボトリール1mgの増量か不安時頓服がほしいのですが、なかなか言い出せずにいます。

収入は障害基礎年金2級

幸いにも障害基礎年金2級を受給できているので、つらい実家に帰らず一人暮らしを続けることができています。障害基礎年金2級の1月あたりの金額は65,000円ほど。決して楽とは言えない金額です。しかし、居心地の悪い家に居続けることに比べたら天国のような生活を送れます。

それでもやめられない自傷

知らない土地に一人、引っ越しに関係した書類の提出に次ぐ提出、頼れる人も何もなく、日々夏になっていく外を窓越しに眺めながら、私は寂しさ、虚無感から自傷行為が再発しました。
左腕はすでにリストカット痕でぼろぼろでしたが、右腕の目立たない部分に小さな傷をつけて、2週間で1.2Lもの血をペットボトルで計測し、トイレに流し込みました。
「このままなら失血死できるかもしれない」という淡い希望さえ持っていました。

しかしこの淡い希望はわがままな私自身によって絶たれることとなります。
強烈な嘔吐の症状が出始め、耐えきれず119のボタンを押してしまったのでした。自分で作った傷で、自分のわがまま、弱さから来た症状を治療してもらおうだなんて虫が良すぎる、という思いが常にありました。

ヘモグロビン2.4

救急搬送された病院での血液検査データはヘモグロビン値2.4を指していました。お医者様方も少しざわざわするような数値です。即座に輸血が決定しました。輸血というと不安もあったのですが、そんなことは言っていられない数値だったらしく、病床に上がるなり輸血製剤が腕に刺さっていました。

輸血の効果あってかヘモグロビンは順当に上がっていき、ヘモグロビン5のときは体が快適でびっくりしたものです。4日間の入院でヘモグロビンは10程度まで回復しました。

健康になると不安になる

体が健康になると、それまで「それどころじゃない」とすみっこに追いやられていた精神面にスポットが当たるようになります。
ちょっとしたことで不安になって、入院中の人の気配の優しさや、それで落ち着いて眠れていたことを思い出しては、1Kの狭い部屋でぐずぐずと泣くのです。

”終わってる人生”をどう送るか

これが今目下の悩みです。
精神科歴8年、閉鎖病棟入院2回、障害基礎年金2級受給、障害者手帳2級所持、メンヘラに必要な書類全部集めてきました、と言わんばかりの経歴です。

「まずは体と心の休養。何かやりたいことを見つけていければ。」
お医者様のお言葉は胸に響きます。
がんばろう、とまだ貧血の体を引きずって体に良さそうなものをスーパーで買って帰ります。真っ暗な部屋で電気もつけず、一人で食べるのです。
そして我慢ができなくなりそうなときはマイスリーを4錠だけ、梅酒で飲み干します。唯一の娯楽といってもいいでしょう。

終わっている人生、どこかでつまづいて終わってしまった人生は並大抵の努力では抜け出せません。ならば終わっている中でどう生きていくのか。
前向きとも後ろ向きとも言い難い選択ですが、しばらくは終わった人生の回し方を考えてみようと思います。

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