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本を読むより歌詞を読むのが好きだった。

さっき急に雨が降ってきた。

屋根を突き抜けるような雨音を聞いていたら

ちょっとあの日のことを思い出していた。

心は闇だったのにその闇をなんとかしてくて

音楽を聴きに行った。

夕暮れの坂道をのぼって。

久しぶりの鎌倉八幡宮の裏道あたりを

歩いてゆく。

ゆるやかなカーブの途中辺りにある歐林洞に

南佳孝さんのライブを聴きに行ったことがあった。

南さんの声。

間近で聞ける場所にある声。

ライブハウスってライブで音楽を聴けるってこういう

ことだって改めて気づかせてくれるそんな場所だった。

喉をやわらかくいじめているように響く歌声と

ギターの弾き語りを聴いていた。

雨の降る日の海の歌。

どうしてかわからないけれど、その歌は

いまここに居ない人ばかりが浮かぶような

そんな仕掛けにみちていた。

やさしく包み込むような歌詞と南さんの

しゃがれた高音が、耳の中へと入りこんでくる度に、

そこに描かれている景色の中の女の人がかつて

そこで笑ったり背中を向けたり甘えたりそんな姿が

みえてくるようなそんな時間だった。

「この歌が届くのなら」という曲が、すごいなんていうか

デジャヴュ感があって。

これは鎌倉駅からさっきこのライブハウスにたどり

着くまでの道を歌っているのかと思うぐらいだった。

あの坂をこえ 右に曲がり その次の角を左
赤と茶の壁 過ぎてすぐ右
カフェテリアの並びの白い家
カーテンを煽る風
覚束ないショパン もう一度笑顔見せて
この歌が届くなら 歌詞/御徒町凪

もう一度笑顔見せて。

わたしにはこのフレーズがすこしだけ痛かった。

笑顔が遠くにあることがわかっていたし、心の

置き場所が所在なげだったことも知っていたから。

笑ってない日々だった。

聴いていたら、ふいに<書きあぐねた手紙>という

フレーズが聞こえてくる。

その言葉だけに歩みを留まらせていたら

うっかりたくさんの歌詞を聞き逃していた。

ぼんやりと記憶を辿りながら、今までにどれぐらい

書きあぐねた手紙があったんだろうと想いながら。

ほんとうに書きたかった手紙は、とても少ないような

気がしていたら、とつぜん曲のエンディングに

向かっていた。

南さんの声は<隠せない溜息を>って歌いながら

そのため息はどこへ行ってしまったんだろうって

思って耳を傾けていたら

<草に寝ころんで 読みかけの本に挟んだよ>って

ささやいて曲が終わった。

家に帰ってから歌詞カードを読んでいた。

歌詞は御徒町凧さんだった。

あるイベントでお目にかかった時に南佳孝さんの

歌詞を書いていらっしゃることを知った。

川沿いの道 白詰草 蹴り上げたコーラの缶
どこまで続く 変わらない日々
引きずる影に肩を抱かれても
目に余る青い空
書きあぐねた手紙
鼻歌でリズム&ブルース
君のいない街に響く

昔から歌詞カードを読むのが好きだった。

活字嫌いだったのに母の聞いていた洋楽の訳詞などは

本を読むみたいに歌詞を読んでいた。

あの日、御徒町凧さんの歌詞をどこかすがるように

読んでいた。

遠くかすむ陽に
隠せない溜息を 草に寝ころんで
読みかけの本に挟んだよ

読みかけの本に挟んだよ。

挟まれているのは隠せない溜息で。

わたしがかつてしたことのない形の表現だった。

わたしは笑えない日々の中でこの歌に会ったことが

とても救いのような気がしていた。

救われますとかすぐ言う人を信じたくないけれど

それでも、なにかに寄りかかりたいそんな

気持ちだったんだと思う。

あの日のことを想うとすこし寂しい。

あののライブハウスはもう今はない。

わたしがnoteにやって来たころ去年の6月に閉店

してしまった。

今再び、彼の曲を聴いている、そしてまた歌詞

カードを読んでいる。

南さんのアルバムのタイトルは「SMILE&YES」。

今もちゃんと笑えているかどうか不安だけど。

あの頃よりはきっと笑えているような気がする。

SMILEしてYESといえる日ばかりじゃないけれど、

わたしの好きな人達がSMILEでYESなそんなひびで

あるといいなって心から思う。

noteの駅に降りてから心から幸せを願える人達が

増えたことがいまとてもうれしい。

㊗note7周年おめでとうございます✨


尻尾ふる 毛むくじゃらの 犬のように
ハスキーな 夜を巡るよ 迷子のように


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