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もし、わたしがよその家の子供だったなら。

どれぐらいの分量のものを我慢してきたのか

あまりよくわからないけれど。

我慢って、じぶんでは感じられない時がある。

わたしの癖なのか、心を保つ術なのか。

ここにいるわたしとは違うわたしを

想定してしまうところが小さい頃からあった。

小学生の頃、母とふたりで空港まで車で

行くことがよくあった。

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旅行のためじゃなくて、ただ空港にふたりで

行って、旅する人々を眺めていたり、そこで

ご飯をたべたりして帰って来るだけなのだけど。

そこまでの道のりは、環状道路を使うので

いつもとちがう眺めがわくわくして好きだった。

車窓からみえる一軒の家を見て、ここは

わたしがすごく知っている場所だと

いつか突然思ったことがある。

ふつうの小さな一軒家で。

ささやかな庭があって。

そこを出入りしているお母さんらしき人の

姿を見た時、この人のことをすごく

知っているって思った。

母には言わなかったけれど、母に内緒だけど、

この人がほんとうのわたしのお母さんかも

しれないそんなことを思っている

間の気持ちが好きだった。

そこの庭の花壇で母らしい人と一緒にわたしが

いる姿や、台所で母らしき人の手伝いをしている

シーンが浮かんできた。

母とは真逆の雰囲気の人だった。

誰にでもあるようなたったそれだけの子供の

妄想のようなエピソードをその後、付き合って

いた彼に言ったらそれは

「我慢が慣れっこ」になっていたせいだよって

言われた。

我慢?

我慢とその映像がなかなかひとつに

ならなかったけれど。

我慢が慣れっこになると、なにがほんとうに

欲しいのかやりたいのかわからなくなるから

我慢禁止やでって言ってくれた。

彼にそう言われたことで、すこし腑に落ちた。

父と母に愛されていないと思っていたわたしの

避難場所はいつも妄想だったかもしれない。

弟が夜眠る時、わたしがお話をひとつずつ、

話すというのが習慣にもなっていた。

絵本じゃなくてわたしがその場ででたらめに

嘘話を作って話しながら弟を眠らせるって

いうことをしばらくしていた。

そのでたらめな、お話づくりをしている時は

じぶん以外の誰かになっているようで、気分が

よかった。

わたしがいつも、わたしというひとりの

にんげんじゃなくていいんじゃないかって。

そう思う瞬間だった。

小さい頃は、巷で我慢する子はいい子だと

思われて。

よく我慢したねって頭を撫でられる。

我慢はいいことと教わるせいもあるんだろう。

今でもちょっとキツイなこの状況って思うと、

わたし以外のにんげんになろうとする。

属性を変える想像をしてみたりする。

ちょっとパラレルワールド的だけれど。

いつも揺るがないわたしだけではやって

いけないこともあるから。

noteでいうなら、エッセイよりも小説の

ようなものを書きたくなる。

そこの登場人物に自分を投影してじぶんを

解放してみたくなる。

あの頃、母がどうして旅行じゃないのに

空港に行っていたんだろうって、彼と思い

めぐらせた。

母はなんでもいうし、黙っていたり、なにかを

すごく我慢しているという印象はなかった。

父との喧嘩にはいつも勝っていたし。

言葉でもねじ伏せられることはなかった。

主導権を握っているようにみえた。

祖父は鹿児島に住んでいた。

だから、いつもあれに乗れば鹿児島に

帰れるのにって想っていたのかなって

彼とふたりで話したことを思い出す。

もしくはもっと遠くへだったのかも。

母の我慢のことを子供時代は思ったこと

なかったけれど。

母は娘を連れてただ空港へ行く。

それはもしかすると我慢と引き換えにした

行為だったのかもしれない。

彼女に聞いたとしてもただ行きたかったと

しか言わないだろうけど。

我慢は人とくらべてしまうところもある。

でも、それはあまり意味はない。

しんどいのは他人じゃなくてまぎれもない

じぶんのはずだから。

じぶんがしんどい時にしんどいと

言える相手がいるだけでかなり楽になることは

昔つきあっていた彼に教えてもらった気がする。

好きな人は、どの地に居てもなるべく

我慢しないで生きていてほしいと

心の底からそう思う。

ほしいものが わからなくなる ほしいってなに
こらえてる エネルギーの ゆくえ教えて


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