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藤沢周『スミス海感傷』に、つみの意識がよみがえる。

あれは、引っ越しの前前日のことで。

引っ越しのおまかせパックだと高くつきそうだから、

自分でやりますメニューにして、梱包をしている

ときだった。

昔は、本が読めなかったけど

ある時期をさかいに

本好きになったわたしは相当数の本が

部屋の中に犇めいていて。

段ボールも本で何箱占めるんだっていう

状態だったけど。

離婚も裁判も引っ越しもすべててんこもりの母は、

長きにわたり子育てをして成長させてきた

我が家を手放すことへの憤りもあったの

だろう。

わたしの段ボール入りの本を俯瞰しながら、

そんなにあるの?

と、驚き。

そんなに持って行ってほんとに読むの?

っていぶかし気に問いかけ。

一応、仕事上なにが資料になるかわからないから

みたいな感じで、もごもご答えたら

いきなり頭上から、

怒り心頭モード全開で

「これから作家になるとかじゃないんだから、
本を捨てなさい」

ってのたもうた。

は? 

とは声に出さずにいたけど。

心はほんとうには? の状態で。

わたしは段ボールに詰められた本を眺めながら

たぶん泣いた。

ガラクタじゃないんだってば。

よれよれのTシャツだって、大好きな人に

とっては、愛着のあるかけがえのない時間の

つまった、たった一枚の宝物だ。

そういうなんていうのか、ひとが大事に

している他愛もないようなものを認める

やさしさは、ないのかよって心の中で怒り

ながら泣いていた。

母の好きな植物図鑑を母が、プロのガーデナーに

ならないからといって、

捨てたら? って言ったことあった? って。

そんなことを思いながらなくなく、

本を減らした。

その時、住んでいた家の三分の一の広さの所に

母と二人で引っ越すわけだから。

理論としてはかなっていたけど。

その時わたしは衝動的になぜか、一番大切に

思っていた好きだった作家の小説を

ぜんぶ捨てる系の箱に入れたことを

覚えてる。

それはブックオフ行きの箱だった。

わたしのなかであの作家が好きだったことを

葬る準備をしていたのかもしれない。

梱包し終えたあと母の捨てる系の段ボールの箱を

覗いた。

そこには、彼女の好きな向田邦子や遠藤周作や

森瑤子の作品が詰められていた。



彼女も好きな作家を葬ろうとしているのかと

わかってわたしは何も言えなかった。

引っ越し前なのにやたらもやもやする。

でも、こっそりその段ボールから彼らの作品を

そっとすくいあげて、引っ越し先用の段ボールの

中に入れておいた。

それから何年も経って。

久しぶりに訪れた大型電気店の最上階にある

本屋さんに行った。

雑誌をみたり、絵本を覗いたり、短い言葉が

ならんだ写真詩集のページをめくったり

していた。

なんとなく、文庫本のところで足が止まった。

一行目がとても気になる。

昔からこの一行目が好きだった。


ミルクコーヒーのような色だ。
その表面をゆっくり西の方に豚の死骸が流れているのを
幼いわたしは見つめている。
時々、葦や萱がちいさな島となって、やはり西の方に
流れている。


この最初の一行目に触れた途端

ああ、そうかと再びガツンと惹かれた。

これはあの日、捨ててしまった藤沢周さん

数冊の中のいちばん好きな一冊だった。

装いも新たに文庫本になっているものを

手に取っていた。

主人公に起こる出来事をすでに知ってしまって

いるのに、その出来事のおわりをすでに予感

させる冒頭は、くすぶりと鼻をつくような

匂いまでもが蘇ってきて妙な気分になる。

たぶんフロアにいることも忘れそうに

夢中に読んでいて。

一度捨ててしまった本を今手にしていることを

想うと、かつての自分の住んでいた部屋の本棚と

一続きになっているような錯覚に陥りながら。

購入した後書店をあとにするとき、なんとなく

振り返りながらこの書店に存在している膨大な

物語の渦を想った。

忘れられない主人公の生きた証のようなものが、

身体のどこかに刻印されているようで。

出会いがしらしたこの本のせいで、心がかき

乱された。

そして。

あの日母に言われた言葉も思い出していた。

言葉は、ひとを運んでゆく。

言葉が、ひとを運んでゆく。

触れたら傷つくような作品がこの世にはあって。

もうかさぶたになっていると思っていたはず

なのに。

その傷が懐かしい痛みを伴っていたことにきづく。

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フンボルト海。夢の浅瀬。晴れの海。静の海。
スミス海。豊かの海。神酒の海・・・・・・。
子供の頃に覚えた月面の名称は今でもいえる。
それらは、父が教えてくれたものだ。
『スミス海感傷』p11より。


暮れてゆく ふりかえっても 暮れてゆく人
霧のむこう 祭りばやしが とりとめもなく



いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊