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心の中の言葉をどうして、言いたくなるんだろう。

「物でも人の生き方でも
美しいなと思うと
一呼吸おいてこれでいいのかと思うのは
何故だろう

どこにも悪が見えないと不安になる
ほんの少しでも醜いものが隠れていないと
本当でないような気がする」

2021年11月10日谷川俊太郎・
連載「どこからか言葉が」より。


谷川俊太郎さんの新聞の連載「どこからか言葉が」の
「わざわざ書く」というタイトルの詩だ。

この言葉の並びに心を覗かれたような気持ちが
してずっと気になっていた。

こういうところわたしの中におおいにある。

あまりに優しい人に会うと、どこかでバランスを
とって生きて言って欲しいと思う。

優しくない人は嫌いなくせにそう願ってしまう。

営業スマイルだと知って安心することのほうが
落ち着きがいい。

犬の気持ちはよくわからないけれど。
犬たちが飼い主の言うことを聞きすぎて従順に
見える時には、もっとわがままいいなよ! ってな
気持ちになる。

もっと飼い主を困らせなよって。

もしかしたら、小さい時に母親が他のお母さんと
喋ってる時に

「育てやすいいい子でよかったね」ってよその子供の
ことを言っているのを聞いたせいかもしれない。

そう言われたかったのかもしれないし、

育てにくくてごめんねみたいな気持ちが
ずっとあったのかもしれない。

今は流石にそこにとどまっていないから
平気だけれど。

そして谷川さんの詩を読み進める。

「自然を目にするときは違う
不安も何故もない
雨が降っても風が吹いても
自分が今そこで生きているだけ
無限の自然が自分を受け入れている
と言うより自分が自然の生まれだと知って
そう思える自分が嬉しい
心は雲とともに星々とともに動く」

なんて風通しのいい眺めだろう。
じぶんがひとつの木と変わらないとおもえる
ぐらいの清々しさ。

人間世界に疲れているのかもしれない。
でもこれは今に始まったことじゃないし
人とかかわるようになってからずっと
続いていることでもるわけだから。

みんな疲れているよね、大なり小なり。

金曜日の夜の雑踏で少しそんなことを思っていた。

見知らぬ人が疲れているように見えただけなのに
どこかで安堵していた。

危うい感情だと思いながら。

そして谷川さんはこう続ける。

でもなんでわざわざ書くのかと思う言葉を
自分の中に取って置けずに

この詩を目で追いながらうっかり声にして
しまいそうになってため息が出そうになる。

書いている人達はみんなそうかもしれない。

心の中の言葉をどうしてじぶんだけのものに
できないんだろう。

しまっておけないんだろう。

不思議だなって思う。

谷川さんの詩の冒頭のようなことは心の中で
しょっちゅう想っていることだ。

自分のことは、ま、我慢するかってなるけれど。

誰かが悩んでいたら、もっとわがまま
言いなよっていつも言ってる。

聞き分けのいい犬にだって心の底から思う
あのエネルギーを同じ分量でそう思うのだ。

わがままになりなよ。

言えない時は心の中で言ってる。




 

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