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「ありがとう」が言えない子供だった。

ありがとうって小さい頃言うのが

恥ずかしかった。

なんか、人なれしていないので

たいていの事は恥ずかしいんだけど。

ありがとうを言いなさいって母に

促されて、もぞもぞっと言っていた。

よく通りを歩いている子供達って

大きな声でありがとうございます! って

言っているのを耳にする。

まっすぐでいいなあって思う。

人としてわたしの小さい頃よりちゃんと

してると本気で想う。

今日わたしは声を出して何人かの方に

ありがとうを言ったんだなって

想いだす。

ほとんどが、宅配の方にだったけど。

昔、機会があって十数年ぶりに視力検査を

したことがあった。

とりたてて視力に変化はなさそうだったのだ

けれど。

眼鏡をあたらしく作りたいという人に

ついていって検査をつきあいで受ける事に

なったのだ。

その眼鏡屋さんはみんな眼鏡をかけていて

とても意欲的に働いていた。

顎をくぼんだ黒い楕円の器具にのっけて

調べてもらうとわたしは微妙に乱視がかって

いることがわかった。

乱視っていうのはつまり簡単にいってしまうと

ゆがんでものがみえてるんですよといわれて。

視力にはすこしだけじしんがあっただけに

軽い衝撃があった。

しかし、ゆがんでものを、みだれみていたのかと

ひとりで納得していた。

そして簡単に何気なく言われた言葉にこそ人は

すこし傷ついたりするものなのだなということも

同時に感じていた。

すべての親しい人や物に遠く果てしない距離を

感じている時、きっとわたしは誰かにこころを

ふくめてみてほしいとだらしなく願っている

ときなのだ。

たまに心なんてなければどんなにいいだろうと

ふいにそんな思いがはみだしてゆく。

乱視とこころ。

そのどちらも、ただありのままにそこに在るの

だから、まっすぐありのままに受け入れるしか

ないのだけれど。

あれからずいぶんと時間が経ってわたしの

乱視はどうなっているんだろう。

今日わたしはいろいろな人に助けられた。

みんなnoteで出会った人ばかりの、大切な

幾人もの方に。

ここの所、いろいろ心がきしんでいたので

物事を斜に構えて見ていたのだ。

乱視の心をもったわたしにそれは勘違いだよ

と、幾人もの人が教えてくれた。

だから安心してって言ってくれた。

そしてわたしは文字でも記したけれど。

ありがとうをもっと声にして言いたいような

そんな1日だった。

あの誤解が誤解のまま育たなかったことに

いま、安堵している。

あの小さい頃のままのわたしだったら

ありがとうを言う機会を逃していたと本気で

想う。

乱視の心のわたしを助けてくれたみなさん

ほんとうにほんとうにありがとう。

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