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回転ドアに間に合う人に、一度ぐらいなってみたい。

あのドアは回ってるよね、たぶん回ってる。
永遠に回ってる。
そして、誰もがその中になにごともなかった
かのように、すべりこみ。

あちら側へとからだごと、あっち側の人に
なってゆく。

小学生の頃、回転ドアの入り方が
わからなかった。

すでに父親と弟は、あっち側のひとになって
いて。

ロビーで母とわたしを待っている様子。
「はよ来いよぉ」っていう雰囲気を
におわせながら。

隣の母がすすすっと、そのドアへ躊躇なく
足を運びこませようとしたその瞬間、
わたしは「いっしょにいく」って、
声を掛けた。

あっさり却下されて。

置いてきぼりを喰らいながら、母親は
すかさずあっち側の人になって、むこうの
フロアから3人がこっちを向いて
笑っていた。

どうしよう。

なんでドアが回転するの? って思っていた。

あたりを見回していたら、やさしそうな
サラリーマン風のおにいさんがドアの前に
立って、微笑んでいた。

このひとだったらもしかしたら、一緒に
入ってくれるかもしれない。

マンガの吹き出しみたいにそれを
思い描いていたら、その人が
どうぞって手をさしだした。

<お先にどうぞポーズ?>に
どぎまぎした。

生まれて初めて回転ドアに
入った瞬間だった。

あのドアはひとりずつ、順番にしか
入れないドアであることを
そのとき知った。

うっかり出るタイミングを失った小学
3年生は、そのままもう一周、回転ドアの
旅にでて旅が終わった。

この時間ってもしかして、
そうまとーみたいなもの?

こうやって、生きて
こうやって、ぐるぐるとまわって、
一抜けたり抜けられなくて、
そのまま廻り続けたり。

ひとりひとつのドアからしか
出入りできないってことが
じぶんを生きてるってこと
なのかって
最近思う。

いまだに回転ドアの入り方は
上手じゃない。

なくていいとさえ思う時もある。

たぶんわたしは、いっつもなにかの
きっかけを失い続けてここまで
来てしまったんだなって。

その後の人生で、なにかをすかっと
こなしたことはなく。

たぶんあの日と同じように回転ドアに
入るきっかけみたいなものを失い
続けたまま、生きてしまったのかも
しれない。

世の中のひとは、もっとうまく回転ドアを
すりぬけながら生きている
ような気がする。

ただただそう思う。

人生振り返るに、周回遅れ的なこと
ばっかりだったような気がするけれど。

きょうもわたしは不器用なまま、日が暮れて
ゆく。

日が暮れてゆけば、日が暮てゆくとき、
日が暮れろ。

でも、すこしは間に合いたいんだろうな。

なにかに。

あの回転ドアに躊躇なくするりと
入れたねっていうぐらいの感じで
2022年は
なにかに間に合いたい気がしている。

半身で 半信だった 半神のきみ
うそとか まことが マーブルに溶けて




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