心ぜんぶ映し出すような、そんな自画像を探していた。
昔からみちゃいけなさそうなものに惹かれる
ところがあった。
みたら、傷つくかもしれないよっていうのにだ。
わたしにとってのそれは突然20代の真ん中辺りで
好きになったエゴン・シーレだった。
(ほおずきの実のある自画像 1921年・レオポルド美術館所蔵)
おびただしいぐらいの自画像を残していて。
そのどれもが彼そのものであるようで、ないような
そんな印象がある。
美術と名のつくものは学校で嫌いになってから
どこか敬遠していたこともあったけれど。
この自意識過剰な季節にあったその頃のわたしは、
自分の自画像に近いと思える誰かの作品を
バイブルにしてそれを生きるよすがにしたいと
思っていた。
ちょっとつっかえ棒が欲しかったのだ。
ひとりじゃつまらんから、誰かつっかえ棒に
なってほしくて。
でも生身の人はもう信頼できなくて
リアルから逃げまくっていた時だったので
絵のようにワンクッションある世界を
欲していたのかもしれない。
彼の作品はまっすぐ立っていることさえ
つらくて、身体の中心をねじったような姿や
額に手をあてたその力が強すぎるせいか
その上の目の形まで変わってしまっている
あえて言うならそんな神経症的な自画像も多い。
こうやってみると、たったひとつの自分なんて
ないんだなって気づかされる。
ばらばらで、こなごなで、ちりぢりで。
鏡の中のじぶんを、どこまでもちぎってゆき、
痛いぐらいじぶんと向き合う姿勢に
引き寄せられていく。
今はなかなか行けないけれど。
いつだったか日本橋で『ウィーン世紀末展』を
観に行った。
母とふたりで行った。
母はずっとクリムトファンだったので
接吻とかそっちがお目当てで、
(グスタフ・クリムト 接吻 1907~1908 ヴェルヴェデーレ・オーストリア絵画館所蔵)
わたしはその頃から
エゴン・シーレラブだったので、エゴンシーレ
目当てだった。
フロアでは別々に行動する。断然じぶんのペースで
観たいから。
シーレの作品を間近で観ていると、その絵筆の
スピード感や執拗に筆を重ねたであろうその
プロセス、その行為がなまなましく迫ってくる。
むかし、シーレを形容する言葉をキャッチ
フレーズのように名付けていたことがある。
<痛さ、見たさ>って言葉を勝手に心の中で
贈っていた。
どんな展覧会も、その日いちばん好きな絵に
出会えたらもうもうけもんだと思ってわたしは
美術展に行っていた。
その日も、いわゆるシーレの自画像狙いで、
出かけたけれど。
ふいに目の前に現れたのは自画像でも人物でも
なくて一本のひまわりだった。
天にも昇りそうなぐらいに成長しすぎた
ひまわりが細長いキャンバスに描かれていて。
ジャポニスムの影響なのか、掛け軸のようにも
観えた。
かろうじてつながっている大きな葉は、茎の
両脇にだらりと持て余すように垂れ下がって
いる。
わたしはその絵の前に佇みながら、そこから
一歩も動きたくない衝動にかられた。
一目見てぜんぶそっちの世界にもっていかれた。
しゃがみたくなるぐらい好きだった。
わたしは好きになるとしゃがみたくなる。
それがとてもおかしいって付き合っている人に
言われて笑われたことがあるけど。
好きのバロメーターがどうやらそこにあるらしい。
夏のど真ん中を生きているひまわりの馴染んだ色彩
とは程遠い。
よくわからない感動のままその絵の前で母と
合流した。
その時、自画像じゃないけれどこのひまわり
好きだよって言ったら、
母が、これ自画像よって返された。
すっごい即答された。
母はたいてい何かを尋ねたら即答即レスの人だけど
あまりに早くて、ちょっとちぇって言いたくなる
ほどだった。
ひまわりのあのてっぺんの花のところが人の
頭だと想ってごらんって。
そして茎が首と身体で。
枯れた葉の所が所在なげな腕よ って。
そう思って観ていたら、くやしいけれど今まで
知っていたどの自画像よりもシーレそのものに
観えてきて仕方なかった。
いつか彼が習作についての語っていた言葉を
その後知った。
親密に心の底からみつめれば、夏なのにその中に
秋めいた木を感じることができるのです
その言葉を寄り添わせながらもういちど
画集の中のこのひまわりを観ていたら、その
言葉がこのひまわりと一体になっているような
気がした。
エゴン・シーレの自画像にじぶんを重ねていた
あの頃の傷みはいまはかさぶたになったけど、
ちょっと痛懐かしい。
懐かしいって言うなって過去のじぶんに叱られ
そうだけど、そんな今をぞんぶんに生きて行く
しかないねっていう想いにかられてる。
折れ曲がる 背中のかたち あやまるかたち
ふたしかな こころすっぽり つつまれる夜
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