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好きな人の感じ方もまじりあって、じぶんの感じ方になってゆく。

なんとなく責められている気分に
なるから、すこし苦手だなって思っていた
ビュフェの絵。

自転車も暖炉も椅子もイーゼルも
それぞれの存在がなにものとも
溶け合わないと主張している。

描かれているものすべてのものに
輪郭線がくっきりと刻まれているあの
黒い線が、おちつかなかったのだ。

でもふとビュフェのことを語る美術番組を
みていて、藤田宜永さんの考察がとても
おもしろくて、すこし彼の絵に興味が湧いた。

あの黒い線は防波堤のようなものと、
おっしゃっていた。

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あらわな線をそんなふうに考えたことは
なかったので、ついつい語り口に引き込まれて
いった。

<なかにある生々しい感情が外にでないような
そんな防波堤にみえるんです>。

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さすが作家の表現だなってほれぼれした。

その線のことをつっかえ棒とも、たとえて
いらっしゃって、あの黒い線がないと、なにかが
崩れてしまうからあんなに鋭い線を人や建物や
もの達に描くのだと。

そんな言葉を耳にしながら、あらためて
ビュフェの絵を見ていたら、あの輪郭線は
あそこに、なくてはならないもののように
感じてしまう。

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なかに内包されていたひみつのような
どろどろのものが、対象物にはつまっていて、
あの黒い線がなければ、あのフレームの外に
とめどなく流れ出てしまう液体状のものを
想像してしまった。

いろんな思いがそこに駆け巡り、絵から
離れて、藤田宜永さんの感じ方が好きだなって
思った。

わたしはこれまで藤田宜永さんの著作に
触れる度にどこが好きなのかうまく、
伝えられなかったけど。

あのビュッフェの黒い輪郭線のような
つっかえ棒に似た、そこから先のことを
言ってはおしまいになってしまう限界、

ボーダーラインすれすれを描写される
ところにどこか惹かれているのかも
しれないと思った。

それがなかったら、もっととらえどころの
ないなにかが、こぼれつづけてしまうことを
知っていらっしゃったのかもしれない。

こわいなって思う。

わたしはビュフェの絵を見るといつも
あの黒い線がじゃまだなって思っていた
けれど。

あの線がぜんぶ失なわれていたことを
想像してみたら、断然そっちの方がもっと
こわいのかもしれないって思った。

だだもれになるわけです。

感情のどろっとしたところは寸止めする
そんなたたずまいって美しい。

冒頭に責められてるって表現したけれど、
もしかしたら、それは迫ってきてるって
ことだったのかもしれない。

描かれた摩天楼だってそういえば、建物で
あるのにそこにじっとしていないで、どんどん
天に向かって成長しつづけているような黄昏の
ようなくらさのなかにエネルギッシュなものを
感じたことがあった。

たぶん、父の本棚にもあった画集だっと思うから
はじめてビュフェの絵にあったわけじゃないのに。

藤田宜永さんの言葉があんまりにも、胸に
まっしぐらに響いてくるので、わたしは生まれて
はじめてビュッフェの絵を体験したような気に
なっていた。

絵でも音楽でもそうだけど。

同じものを観たり聞いたりしても、その人の
感じ方がなんだか好きって思うことが
よくあって。

美術館につれていかれても、あまり感じ方が
よくわからないこともあったけど。

誰かの感じ方を知ることも、かなり絵を観る
時に新しい視点を得るみたいで結構好き
だったりする。

オリジナルの感じ方も、そんなふうに好きな
人の感じ方も混ざり合いながら生まれてくるの
かな。

青色の ケトルがずっと 鳴いている部屋
すれすれに こぼれてしまう 水のゆくえは



     

     

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