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救われたい、満たされたいと思っていたあの頃が、風に吹かれてる。

眠るとあまりよくない夢をみそうなとき、映画をついつい見てしまう。

この間、夜更かしながらでもみたかったのは、

パク・チャヌク監督の『イノセント・ガーデン』。

はじまりのシーンから、なにかがもうすでに起こってしまった後のこと
を描いている、不穏な感じが伝わってきて、胸騒ぎがする。

普通の女の子のファッションのようにみえて、どこか何かがちがうのは、
彼女が

<ママのブラウス>に<パパのベルトを締め>、<靴は叔父の贈り物>

だったから。

<私の耳はとても鋭く、私の目は遠く離れた小さな物も見逃さない>

インディアという名の彼女がしずかに踊るように語る。

<私は救われたい、満たされたい>

と、言いながらとつぜん

<スカートにも風が必要だ。私じゃないものが私を作る>

と告げる。

野生の知性みたいなものを携えているインディア。

たえずなにかに、違和を感じているから息苦しくて。

誰にでも経験したことのあるような思春期と呼ばれる頃の

出来事かもしれないけれど。

インディアが持っているのは、あまりにも無垢な野性性だった

ことで、みているこっち側では、共感を越えてただただ息を

ころして見守るしかなくなってしまう。

いつかみた、「野生達のドキュメンタリー」みたいだなって思う。

獣たちのひたむきさを内包した少女がすこしまぶしい。

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<花が色を選べないように、
人は自分を選べない。
それに気づけば自由になれる。
大人になると解き放たれるのだ>

すべてのシーンを見終えた後。はじまりのことばをもういちど、目でなぞる。

おわりとはじまりが円環していることを気づかせてくれる。

そして私もどこか解放された気分になって、風通しのよさを感じながらも、

<大人になると解き放たれるのだ>

というさいごの言葉に立ち止まりたくなる。

おとなになってしまうと、そんな日々はそんなに多くないことを

知っている私は、みえないくさびをどこかに打たれたような思い

に駆られて。

これを書いたのはnoteに来る前だった。

でも、ほんとうに、でも、あのねなんだけど。

note始めたらすこし、おとなになってしまうとそんな日々はそんなに

多くないって言葉を撤回したい。

今朝すてきな贈り物をもらった。

わたしにとって、はやいクリスマスプレゼントのようなすてきな贈り物。

如月桃子さんがイラストを描いてくださった。

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桃子さんはたまごまる杯で銀賞を受賞されたすてきな方です。

彼女はいつもわたしはやさしくないですって

やさしいと言わないでほしいと言いながら

願いながらうらはらにいつもわたしたちに

やさしいことをしてくれる。

だから桃子さんは、やさしいってあえてわたしは

言わないけれど。今日のエッセイは桃子さんに

捧げたいと思った。

夢を叶える為にnoteを少しお休みされるそうだ

けれど。あなたのことを応援している人達は

わたしの大好きな人達ばかりで、わたしも

そのなかのひとりとして応援できることを

うれしく思っています。

そして、わたしはあなたの年齢の時には

なりたいものがなんにもなくて。

夢もなかったと思う。からっぽだった。

だから、すこしわたしは桃子さんが

眩しいのだけれど。

桃子さんの進みたい道がはっきりみえている

あなたの眼差しに映っているものが、いつか

形になってまたnoteに戻ってきてくれる日を

楽しみにしています!

ほんとうに

今日はありがとう。まだ心が震えてます!

草原を 駆け抜けてゆく けもののように
せせらぎの はるかな声と 無垢なひづめと 
 

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