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スティーブン・ミルハウザー『アリスは落ちながら』の世界に落ちてゆく時。

ずっと忘れていたトンネルをあの日抜けた。

車が渋滞しているときの近道は、いつもとは

ちがうコースが定番だったけれど、その日の

タクシーの運転手さんは、もうひとつの道を

選んでくれた。

にぎやかなイルミネーションを過ぎてすべる

ようにほのぐらいトンネルに入る。

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そのトンネルはずいぶん昔に母と一緒に

ちいさな苗や種を買いにゆく時に使ったて

いたことをトンネルの入り口に近い場所で

思い出す。

電車に乗っていてもそうだけれど、トンネル

に一瞬入ってゆく時の、すこしだけふあんで

ふたしかな空間に対して、からだがその

空気にかすかに反応して緊張する感じは、

好きなことなのか嫌なことなのか

わからなくなることがある。

こころもとなかったはずなのに、出口が

近づくとどこかで、がっかりするような

物足りないような。

もっとあの薄い暗闇がつづいてほしかった

なって思っている自分もいて。

こころの準備がないままに入ってみると、

あきらかに他の道とはちがう、ざわざわした

心がふとよぎる。

これって、なんとなくアリスだなって、思う。

スティーヴン・ミルハウザー

『アリスは、落ちながら』という短編を、

何日か前に読んでいたせいなのかも

しれない。

おなじみのルイス・キャロルの描いた

『不思議の国のアリス』にインスパイア

された作品で。

好きな訳者、柴田元幸さんのリズミカルな

日本語で訳されていた。

ひたすらおちてゆく時間を、無限に引き延ば

されたかのように綴られていたその世界は、

ことばがいきいきしていてうれしくなる。

<いつから自分が落ちつづけているのか>

わからないアリス。

<ラズベリージャム、と書いたラベルを貼った壷がある>
<それから、レモンクッキーの缶。蓋は深緑色で、中央に
楕円形の枠があり、アルバート公の色つきの肖像が収まって
いる>

落ちながらも、こんなに描写が繊細なのは

<アリスはひどくゆっくりと落ちているので、
これらの細部を一つひとつ丹念に眺めることが
できる。>

からだった。

ほんのつかのま車が入って行った、現実の

トンネルもそのまま垂直にすれば、アリスが

体験したような

<縦穴の薄暗い壁>となってゆくように

感じる。

落ちてゆく快感と懐疑と。

明かりの差す地上がほんとうで、おちてゆく

じぶんがゆめなのかわからなくなっている

アリス。

どっちの世界がゆめなのかって考えだしたら

きりのないらせんのなかに、紛れ込んだような

気分になる。

短編の中では、ちゃんと現実がアリスに戻って

くるけれど。

読み終えた読者は、ゆめとうつつの境界線が

ゆらいでいるのを感じる。

現実が、っていま綴ってみたけれど、それは

ほんとうの現実ではないし、小説の中の架空の

設定なのに、あたかも現実のように、引き受けて

いるじぶんがいることに気づいて、びっくりする。

小説を読むという行為のふしぎさに、また煙に

まかれたような気分になったまま、あの日の

トンネルを思い出す。

もしかしたら、あの日だけの限られた時間に

しか存在しなかった逢う魔が時のトンネルだと

想定してみたくなったのは、

<アリスは、落ちながら>のことばの罠に

はまったせいだったのかなって。

改めて小説を読むって不思議だなって思う。

日常に新しい現実をつくりだすための仕掛けと

して存在しているような気持ちになる。

ひたすら落ちてゆくアリスになりたかったんだと

想いながら。

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おちてゆく 獣のゆびと 触れたトンネル
  眠りから 覚めても ふたり闇をおちて 

 

トンネルを走行中の車のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20210159018post-33024.html 

緑のトンネルのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20160850214post-8561.html

ぱくたそさんから素敵な写真を拝借いたしました。ありがとうございます。

いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊