見出し画像

春、猫をかぶって。

「黒で」
完全降伏だった。  
わたしは、試しに鏡の前で被った。黒猫だった。ちゃんと耳も付いていて、それ可愛すぎるよって思って躊躇する。こういうのじゃなくてもっと、なんていうか。ザ・ふつうの帽子っていうのないですか? って言おうと思ったら、その帽子脱げなくなっていた。

スマホにナビゲートしてもらいながら『帽子屋アリス』にたどり着いたのはさっきのことだ。

帽子がただ被りたかった。おしゃれしたいからじゃない。半ば何かもろもろ隠したかったから。マスクして帽子を被ればなにも怖くないから。

そこは意外とちかい場所にあった。
雑貨屋さんのような本屋さんのような、ゆるやかなコンセプトのお店。

出てきた男の人は、まるでスナフキンだった。緑色の帽子を被った細身の人。
スナフキンが頭を下げたその時だった。後ろからもうひとりスタッフらしき人が、いらっしゃいませって挨拶していた。
わたしは、首の捻挫をしたみたいに首を傾げてその人をみる。
ここは、コスプレ専門? その人は頭をすっぽりきつねで覆われていた。
「あ、彼もうちのスタッフで、狐田さん。ちなみにうちのオリジナルの帽子被ってます」

さっきからその帽子がやけに気になって仕方ない。
彼の帽子は、きつね。きつねをかぶってる。どういうこと?

「こわ。って思いましたね今。彼ね、帰国子女で。ちょっと日本語があやふやなところもあって。これは、芸人さんのお馴染みのギャグみたいですけど。きつねにつままれるのダッシュ型で」
ってスナフキンが言ったあとで
「もしかして、狐につつまれる?」って冷笑気味に小声でつっこんだら、「ほら、さすがぁ。わかってもらってうれしいです」って店長さんのすぐ
後ろで、「よかったです、よかった」ってわけもなく狐田さんが笑っていた。

わけもなく安堵する人間がわたしはきらいだ。

狐田さんが、すぐさま店の奥に引っ込む。がさがさと何かを探してる音が
して、出てきたと思ったら、商品らしき帽子の箱を持っていた。

「これがお客さんに似合うかと思って」
まっしろい箱を開けると中から飛び出してきたのは、黒い猫だった。
「これって?」
「黒猫です。白猫のほうがよかったですか?」
「え? 」
そういう問題じゃなくて。こういう時の絶句って喉が渇くんだと思った。喉を潤したかった。鞄からミネラルウォーター取り出して横向いて飲んだ。
「だってこれ猫ですよ」
とかってクレームいってるうちに、誰かひとりお客さんがやってきた。

すごい足音の男の人。咳もうるさいし、後ろ側に感じる存在自体暑苦しかった。     
振り返る、恰幅のいいおじさん。ふと視線の先は頭に。やはりなにかを被っていた。
被ってはいるけれど、場所がちがうっていうか、その人は頭の上にも顔があるみたいな、ちょっとハロウィンぽかった。

つまりこれってなに? この店ってなに?

なにげなく店長さんの方を見たら、唇が「メンヲカブル」って形に動いて
にって笑った。あのおじさんは面を被っていたらしい。

この店ってつまり、イディオム系の帽子屋さんだってことが判明した時にはもう後の祭りだった。あのおじさんいい人ぶりたかったらしいけど、明らかにあれは失敗だろう。

「にぎやかでごめんなさい。さっきのお客さんはエライ会社の役員さんで、お金あるだろうにいつもタダで直せっていう、うち一番のクレーマーなんですよ。でも時折、冒険もしてくれてマッドハットを買ってくれたんですよ」
「マッド?」
いつの間にかわたしも会話に乗ってしまう。
マッドっていったら狂うだよね。
「あ、マッドハット。泥です。<どろをかぶる>っていう新作を、部下へのお土産だとかっていって、ひとつだけお買い上げいただいたんです。あれはなかなか」って狐田さんが言うと

「売れなくてね」ってスナフキン店長がその言葉を引き取る。

「ま、泥をかぶるってのはいくら帽子といえね勇気いりますよ。だからずっと売れなかったんです。でもね。あの方がねぇ。するっと買って頂いて。かなり値の張るものでしたけど」

ふたりは、言葉をはもらせながら純粋な視線をかわしあい笑った。
こわい。ずらかりたい。でも彼らの笑顔は捨てがたい。
「で、お客さんのは、とっておきのこれがお似合いですよ。黒と白どっちがいいですか?」

そしてわたしは言っていた。
「黒で」
完全降伏だった。  

わたしは、試しに鏡の前で被った。黒猫を。ちゃんと耳も付いていて、可愛すぎるよって思って躊躇する。こういうのじゃなくてもっとザ・ふつうの帽子っていうのないですか? って言おうと思ったらその帽子脱げなくなっていたのだ。

ほんの数分の間にわたしは、あの世に行ってしまったかのような気持ちだった。

ニット製だからやわらかいはずなのにえ? って思うぐらいぬけない。

「今までの方で一番お似合いですぅ」っておだてられた。
「脱げなくなっちゃったんです」
そう言った時、彼らは顔を見合わせた。互いの瞳に流れ星が走りあってるみたいにきらきらしていた。「ほら」「ほら」って言いあいながら、肘をぶつけあってる。
「まさに、それがシンデレラサイズっていう証なんですよ」

「え?」
再び喉が渇くのでペットボトルで喉を潤そうと思った時こころなしか、舌の方が先に動いた気がした。なんていうか舌で水を送る感じ?
「こういうのって不思議なものでお客さんが欲してもだめで、この帽子があなたを欲してるっていうことが、まさにシンデレラサイズってことでして。うちとしても、オリジナル<猫をかぶって>を作った甲斐があってうれしいです」

彼らふたりの悪夢のような声をあとにして、わたしは来た階段を今度は上る。あたりが暗くなっているといいなって思った。

だって、猫をかぶってるんだよわたし。
店のウインドウに映ったじぶんの姿を探した。
わたしはまるで低いところにしか、映っていなかったっていうか猫しかそこにはいなかった。猫をかぶったら猫になったのだ。
 
すこし離れたところをよりにもよって大好きな三日月君が歩いてくる。
はじめて好きになったのに好きっていえなかった三日月君。よくみると、彼も帽子を被っていた。三日月君の帽子を見上げる。ミルクコーヒーを零したような色をしていた。

ベロアでもヌバックでもないぬめっとした感じ。泥色に似ている。これって、もしかして彼らの言っていた<マッドハット>? かもしれない。

きっとそうだ。だって足取りは<帽子屋アリス>、に向かっていた。

三日月君は、さっきの面被りのおじさん役員の罪かなにかを背負って泥をかぶったんだって思ったら、記憶の中の三日月君が蘇った。いつも誰かの罪を背負っていきていた潔さが思い起こされて、泣きそうになって心臓のあたりがどきどきしていた。

マジックアワーめいた空を仰いだ三日月君がなにか気配を感じたのか、あろうことかこっちをみてくれた。

猫になったわたしは、三日月君をうるんだ瞳で見上げていた。
ちょろっちょろっと、あかいあかい舌をだしたままで。

踏んでゆく 影と影とが すれちがう午後
にじんでる 夕焼けまとう ひとりといっぴき


この記事が参加している募集

#私の作品紹介

97,242件

#猫のいるしあわせ

22,340件

いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊