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しあわせは、いつも偶然やってくる。

郵便受けの中にふわりとすてきな
ポストカードが
一葉そこに舞い降りていた。

まっしろでもなくてオフホワイトでも
ないけれど。

すこしとろっとした白地をバックにして
おいしそうなおおきなスターキング
デリシャスのリンゴが宙に浮かんでる
写真のカードだった。

スターキングのポストカード。
きっとこのリンゴのことを
何時か思いだすような気がする。



久々誰かの肉筆である葉書をいただいて、
じんわりとうれしかった。

なんだかさえない日ばかりだけれど。
たまにはこういうなんていうのか、
おもいがけない幸福感みたいな
感じに包まれる日がある。

そこに綴られたひともじひともじの中に、
あたたかくて親切な御心づかいが
にじんでいて、ふわっとその方の
りんかくが浮かび上がってくるみたいな
気持ちになった。

わたしが昔短歌を書いた時の歌集を
まだお持ちとのこと。

今も短歌を詠んでいますか?

と、問いかけてくれているちいさな
文字が記されていた。

Mさんはお目にかかってもいつも、そこに
いることが申し訳なさそうに椅子に
ちょこんと座っていらっしゃる方で。

文字もたくさん白い場所があるのに
その場所をじゃましたら、わるいなって
感じの風情でちいさな文字を書く。

そういうところ、たんなる癖かも
しれないけれど。

わたしはそういうМさんの密やかな
佇まいが好きだ。

ポストカードの中に浮かんでるリンゴは
ここに手にすることのできないリンゴなのに、

いつか食べた時の甘酸っぱさの香るリンゴ
よりも、いまこの写真の中のリンゴのほうが
ほんものにみえてきて、ふしぎなきもちになる。

いまのことより、
きのうの今頃のことのほうが
ほんとだって思ったり、

生きてた時のおじいちゃんよりも
夢の中でおじいちゃんに再会した時、階段の
踊り場で抱きしめてくれたその時のほうが
りあるなおじいちゃんだと思ったりするのと
似ているのかもしれない。

記憶を辿るという作業、そんな中でしか
わたしはほんとうを認識できないのかも
しれないななんて思う。

ダ・ヴィンチの言葉に出会ったことを
思いだす。
<空気遠近法>。

遠くにあるものの輪郭がぶれるのは、空気量が
多いからという説明がなされていて、わかった
ようなわからないような気持ちになりながらも、
その言葉が気になって仕方なかった。

遠くで/ぶれてるもの/

に対する愛情がきっとわたしは過多なのかも
知れない。

空気が満ちながら、ぶれつづける遠い風景は
いつまでも遠くのままでいてほしいような。
その距離感に憧れているような。

一枚のあたたかいポストカードに綴られていた

<今も短歌を詠んでいますか?>

ずっと覚えてくださっていたことが
ありがたくて。 
また、新しく何かが始まる合図の
ように、こころに灯をともしてくれる、
出來事だった。
それだけで、今うれしくなっている。

昼下がり しらふなこころ 一つ残して
夜明けだけ 確かめて眠る 蜜のなかのなにか

 

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