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かなしみに溺れそうな夜に。

母が病に倒れてからなにを感じたかというと
たぶん、知っていたことだけどわたしももう
そんなに若くないってことだった。

悲観とかじゃなくて。
あたりまえのことだし。

時間は人々に平等に刻まれているから
知っていたけれど。

その時思ったのは、どれぐらいの時間が
わたしにも残されているのかわからない
けれど。

うまくいえないけど。
ちょっとうまく言おうとするとしたら。

わたしのまわりをちゃんと支えてくれる
人たちものたち、場所たちのことに
ちゃんと心を尽くしていきたいと思った。

こんなわたしにも言葉を尽くして届けようと
してくれる方にnoteやXで出会う時、わたしもそうありたいと思う。

そんなふうに、自分もありたいと。

日々の中で朝はその日がどんな日になって
しまうのかわからないこともあるし。

朝から、じぶんのキャパでは賄いきれない
事実がのしかかってくることもある。

わたしだけじゃなくて人間生きていると
そういうことがよくあるものだ。

むき出しの心がヒリヒリしそうな時。

もうだめかもしれないとしゃがんで
しまいたくなる時。

こんな時の乗り越え方、わたしにとっては
音楽なのかもしれない。

音に身を浸すように耳から聞いてその音が
じかに心に触れてくるみたいなあの感覚を
摂取しつづけている。

ヘビロテは、三年前から藤井風だけど。

そのヘビロテのなかにもうふたりの
ミュージシャンが加わった。

彼女達、Wendy&Lisaのことを知ったのは
最近のことだった。

偶然、見逃し続けていた映画『パープル・レイン』を
この間はじめて観ていた。

そこにギターのWendyとキーボードのLisaを
みかけたばかりだったので、

二重作拓也氏のTwitterでそのことを拝見した時におもわず、手を伸ばしていた。


このツイートに登場する「もの悲しくて」と
「メランコリック」にとても懐きたい夜だったのでさっそく動画を拝見した。

でもあらかじめ書かれていたワードには引きずられないようにしながら。

耳の中を彼女たちの音と声でいっぱいにしていたらまるで曲のエンディングのようなイントロからこの曲はヘビロテするなって予感がした。

ヘビロテするなって予感するほど嬉しいことはない。

そして思いのままに引用ツイートしていた。


そして新しいツイートに動画がもうひとつ貼られていた。
ふたたびそちらも聞いてみた。


希望を失いかけている時は。
目の前にある「希望」から目を背けたく
なるようなところがある。

でも二重作氏がおっしゃるように「希望の光」はすこし遠くに、その輪郭さえ失わない距離にあればいいのかもしれない。

微かに灯るように。

まさにWendy & Lisaの『Staring At The Sun』には

ひとすじの何か。
そのひとすじをみているわたしがそこに
たどり着きたいと思える何かが隠されている
気がした。

そんな思いに人が駆られることこそが
「希望」と名づけられたものの証なの かもしれないとぼんやりとした頭で思っていた。

この曲の詞にも触れられていた。

みんながたとえ変わってしまったとしても
わたしはそうならない。

じぶんのなかで確かな想いが見つけられた時
ひとはすこしでも前にすすめる心を
身体のなかで育むことができる。

わたしは誰かに何かをおすすめすることが
苦手なところはあるけれど。

この一曲は今くじけそうになってる人
昨日のわたしみたいな人に聞いてほしい
なって思う。




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