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人生最後の日に、食べたいもの。


「人生最後に食べたいもの」高瀬海月。

母曰く、ぼくは食いしん坊じゃないらしい。
だから、デパ地下で買い物していてもなにか忘れ物を
して帰ってくるのは、そのせいだと言う。

食べるということをいつもどこかで諦めているので、
食品売り場でも欲しいものがみつからないのだと。

でも何度か母に言っているけれど、ぼくはデパ地下に
住みたいぐらいあの場所が好きだったりする。

デパ地下のスイーツや和菓子売り場ではうっとりしな
がらそのビジュアルを眺めてる。

そして、最後に食べたいものってあるのかな。

お腹いっぱいになるまで食べる必要もなさそうなので。

すこし口にしたら幸せな気持ちになるものがいいと思う。

美味しいものを食べている時は幸せになるけれど。

それほど美味しくなくても大好きなひとと一緒に
いるだけで、美味しいと感じることが今もある。

食べたら死んじゃうということは、あの童話の林檎
でもいいけど。

あのカシュカシュって果肉を噛むのは元気な人に
似合う気がするから却下しておこう。

そう、ぼくが昔すこしシニタイということを考えて
いた頃、憧れのおしまいの形はクラゲだった。

海月、水母、くらげ。

くらげって平仮名にするとちょっと間が抜けているのに。
漢字にすると、すっとたたずまいが美しくなる。

僕の名前はくらげなので、ちょっと自分が死んでゆく
ことを想って不思議な気持ちになった。

ぼくがふたりいるような感じがした。

海月は死んだら溶けるって聞いて、ぼくも早めに溶けて
しまいたいって思ったことがあるけれど。

あれもひとつの若気の至りだ。

小さい頃お祭りで口にして、もういなくなっちゃったよ
舌の上で、さびしいなって思ったたべものは、綿菓子
だった。

舌の上に乗っけたすきから溶けていく。
はじめから存在がなかったかのようにとろけてゆく。

あれを食べたいかもしれない。

ひとりで食べるのは、すこし割があわないから。

ぼくがすきだった人。

今は天国にいるだろうそのひとが、すすすっと蜘蛛の糸の
ような天から釣り下げられた糸からただちに降りてきて。

桃色の綿菓子を食べさせてもらいたい。

大好きなひとは7年前になくなったけど。

いつかぼくが死ぬときは、ぼくのなかにいるその人と一緒に
死ぬんだと思ったことがあった。

その人は、2度もしにたかねえよって思っただろうけれど。

最後ぐらいはわがままを言いたい。

ずっといじめられてきた人生だったから、とびきりのレアな
綿菓子を舌の上にのっけたまま死んでゆきたい。

思えば、生まれて最初にたべた食べ物と生まれていちばん最期
に食べる食べ物って一度きりしかないんだなって思った。

一度きりに意味をもたせなくていいけれど。

遊びのように妄想してみたら、ぼくはいまだかつてみたことの
ない綿菓子を食べたいと思っていた。

そしてそれを舌にのっけた瞬間、やばい、やっぱり生きたいって
思うようなそんな秀逸な溶け方をする綿菓子をいつか待っています。

【終り】。

この作文を書いた海月は、なぜか今は綿菓子職人になって
日夜、窯のなかのザラメをおおきなへらで混ぜている。

人生最後に食べたいものが、綿菓子だったことは海月の身近な
人間も誰も知らない。

そのことは今これを読んでしまったあなただけしか知らない
のだ。


🔶以前書いたエッセイを小説にリメイクしてみました🔶



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