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きみとなら一緒に失敗できる、そんなあなたに出会うまで。


冷たい雨がやがて雪に変わるかもしれないと

窓の外をみながらバーのマスターは思う。

そこは、渋谷のセンター街よりすこし

先にある、にぎやかな人通りが消えたような

場所にあった。

インターネットが嫌いなマスター。

検索してもその店の情報はどこにもでてこない。

そんな彼のことが気に入ってしまった。

わたしもそうですって言いたくなった。

今の季節にもぴったりで、物語の世界と

リアルが交差しそうな空気に引き込まれ

てゆく。

ふいにひとりの女性が店に入ってくる。

美味しいビールくださいと言った時、

美味しいっていう形容詞はいつも

マスターを悩ませるのだと

告げられる。

美味しいって、ひとりずつ違うからと。

彼女が美味しいという言葉を使いたく

なったのは、訳があった。

恋人が「美味しいビールを追いかけて、消えてしまった」

からだった。

そんな始まりの『HOP TRAVEL  ハラタウ‐1000年の土地‐』。


美味しいってじぶんだけの感覚だからと

バーテンダーである彼は言う。

ここで、ホップ農家への思いを語る

シーンが描かれていて、無性にわたしは心を

掴まれる。

でも想像してみてくださいどんなビールも農家の方が
畑で丁寧に作った麦やホップを生産者が一番美味しい
と思う方法で醸造してこの世の中に流通させています、
それを不味いの一言ですませるのは悲しいことだと思
います。

だからどういうものが好みなのか教えて

欲しいんですと。

その後、彼は喋りすぎてごめんなさいって

謝りながら、喋りすぎた時は右手を挙げて

くださいねと、お茶目に言う。

ここまで読み進めた時にはもう、マスターの彼と

彼女とふたりの会話を心地よく聞いている気分に

なる。

そして、彼女の前にサーブされるペールエール。

それはリクエスト通りクラフトビールがはじめて

でも飲みやすく、なおかつぬるくても美味しい

ビールだった。

冷たい渋谷の雨の中をたぶん歩いてきた彼女に

ぴったりのセレクトだなって思う。

バーテンダーの方の気遣いに触れて、あの外の

雨はどうなったんだろうと思っていると、

ちょうど頃合いに、窓の外を猫が歩いている

描写があったりして。

そんなシーンも心地いい。

長くて古い木のカウンターが一本あって。
背もたれのない樫の木の7席しかない

そのお店の7席のどこかにわたしも佇んでいる

ような気持ちになる。

その日のお客さんである彼女の彼高志さんは、

美味しいビールを追い求めて消えてしまった

けれど。

消えるまでの時間をたどるように、彼女は

マスターに打ち明ける。

そして消えてしまった彼の物語も綴られてゆく。

消えた高志さんを探している絵里子さん。

高志さんが探しているのはハラタウという土地で

生まれたホップで。

人生のじかんを丁寧に費やしながらなにかを

探す壮大な物語になっていた。

高志さんは、

良いものに早いも遅いも関係ないんです、でも

じぶんがやりたいのは流行のスタイルじゃない

と、じぶんの夢を語ったことがあったらしい。

地に足がついて、あの僕が育った小さい街の名前が
ビールに入って、世界のみんながそれを飲む日が来
るということをやりたいんです。

だからビールのことを学びたいのだと。

そのエピソードを絵里子さんから聞いた

マスターは、流行という話については

じぶんも前のめりになれないと告げる。

マスターとわたしは同じ種類の人かも

しれないとふたたびうれしくなる。

わからない言葉にもしバーでであったら

持っているスマホで検索するのじゃなくて、

じぶんに聞いてくれればいいと。

会話は、質問は、物語を生みますね。

絵里子さんのリアクションも好きだ。

なかなかじぶんなら言えないけれど。

そして消えてしまった彼もデートのたびに

訪れたバーではよく質問をしていたと。

消えた彼の物語も綴られていて。

ドイツで美味しいビールをみつける瞬間の

モノローグがまたいい。

僕の人生は全てこういう人との偶然の出会いを積み重ねて、
全て人との繋がりで成り立っています。これは何かの運命
だと思って、こう答えた。

なにか人生が動き出す時の歯車の音が

聞こえてくるような言葉。

最後まで読み終えた時、わたしは

渋谷からドイツまで、旅をした気持ちになる。

それだけじゃなくて、この物語の登場人物たちを

動かしているのは、「ビールの神様」だと気づく。

神様みたいな、老紳士の言葉を少しだけ。

人間は時々、失敗します。失言してしまったり、失恋して
しまったり、仕事で大きなミスを、することもあります。
(中略)失敗してしまったら、また反省して、またやり直
せるのが人間の素晴らしいところではないですか。思い通
りにならないのが人間の面白さ楽しいところじゃないでしょ
うか。

物語に登場する彼らの人生は地道に時間の層を

重ねている、ミルフィーユのようだと思った。

ぜんぶ、きっとビールの神様のいたづら

なのかもしれないけれど。

最後のページをおしまいにするのが

すこし惜しくて、円環をなしているそんな

時間の物語が愛おしかった。

📚  🍺   📚  🍺   📚   🍺   📚   🍺

今回は、林伸次さんのこちらの企画に参加させていただきました。

今日が〆切であることを2日ほど前に知りました。

お店の閉店間際にあわてて駆け込んでくるお客さんみたいに

なってしましました。

変なお客さんですみません。

でも物語の世界とても楽しかったです。

今日のおしまいの曲は小説の中のバーの

テーマ曲「酒とバラの日々」をお送りします。




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