来年の手帳に出会うと、未来をすこし信じたくなる。
なにかを書く時は、わたしは手帳のページを
ふりかえるクセがあって。
書けないときはなおさらだ。
今週はなんか不調だったなって思う時も
めくりまくる。
過去のどこかのある日にヒントが隠されて
いたら、いいなみたいな甘いひょんな
出会いを待っていたりする。
過去なのにそこにある誰かの言葉や
出来事は、通って来た道のはずなのに
時折、はじめましての顔でそこに
いる。
このシーズンになると手帳が気になる。
1年つきあうっていうところが、
ちょっとないがしろにできない。
わたしはほとんどいい加減な
ふわふわと生きてるところが
あるけれど。
手帳選びだけは妥協できない。
メニュー選びに時間がかかるのと
ちょっと似てる。
こちらは憧れなのに好きなものが
ありすぎていつも選べない。
好きすぎて選べない。
選択肢が多すぎて、あわててしまう。
今年こそは久々買ってみたい。
ぱっとひらいた昔のクウネル。
いろんな職種のひとたちの、手帳が紹介
されていた。
あるグラフィックデザイナーの方の
使っていらっしゃるものは、全長が
7メートルもある、蛇腹式で、そこに
1年分の予定が記されている。
7メートル(゚д゚)!
もうこれは野生の動物ですね。
まさしく蛇腹です。
空白のページには、アニマル柄のシールや
手書きのラフスケッチみたいな紙も
貼り付けてあって、楽しい。
上の段には毎日の予定を、下の段には同時
進行しているプロジェクトの様子が
書き込めるものらしい。
ユニークな形のものをこういう職業の方は
みつけるのがうまいんだなって思っていたら
あまりにぴたりとするものがないので、
ご自分と、スタッフのみなさんで作って
しまったらしい(゚д゚)
なかったら作る。
これは物を創る人の基本らしいけれど。
手帳までつくるって凄い!
最近はリアルの文房具やさんや本屋さんで
買うけれど。
手帳売り場で選んでる人のまなざしって
ちょっとそのエネルギーで火がつくん
ちゃうの!ってぐらいまっすぐで真剣だ。
同じコーナーでなんども同じ人と
すれちがったりして。
そういう風景にであうたびに、ひとはみんな
未来のことをちゃんと思いながら、暮らして
いるんだなって、ふと思ったりして。
ある料理研究家の方のものも覗いてみた。
そこには必要最低限の言葉しか記されていない。
<脳を甘やかさないように、できるだけ頭に叩きこんでいるんです。脳にも手帳にも贅肉をつけないこと>
これまた、スリムというかデトックス系の
手帳。
その言葉を読んでいて、ちょっとまねできない
けれど、こうして手帳はひとりひとりの
からだと心のようにみんな違っているところが、
なんだかいいなって思う。
手帳みただけでその人らしさがにじんでる。
なによりもそのひとの だいじな核の部分が
あらわれているようで、だからひとの
手帳ってみたくなるんだな。
イラストレーターの方の手帳はページの
なかもデザインされてるみたいだった。
美しすぎる!
わたしの雑なページが恥ずかしくなるけど。
そして次は印象的だった書家の方。
わあ、流石書家の方だなって
思ったページがこちら。
その日に一文字ずつ、たとえば赤という
字から赤への思いを綴るというもの。
漢字のなりたちや、意味が記されていて。
これすごいなって思った。
日々の想いが、それこそ頭のなかがそこの
ページに日々刻まれてゆく。
本になりますねこれ。
わたしの手帳は誰のものなのかわからない
ぐらいに人の言葉で埋め尽くされている。
もうなにか言葉が処方箋に近いのかも
しれない。
埋め尽くされていたのはnoteやる前。
最近はnoteはじめてからだんだん
空白のページが増えてきて。
それが少しくやしいのだ。
目標が達成できていないみたいな感覚。
わたしは字をペンや鉛筆で書いている方が
パソコンのキーボードに触れているよりも
断然落ち着くので、ふたたび日記帳と親しむ
時間をふやしたいなって思っている。
切に思っている。
新しく来るであろう次の年の手帳を選ぶって
いうことは、もうそこに未来があるって
ことなのかなって。
その未来を信じてるっていう想いなんだ
なって思いながら。
みらい。
わたしはまだ平仮名のみらいぐらいが
ちょうどいいけれど。
今年愛用している、血眼になってみつけた
モレスキン社の大好きな不思議の国の
アリスの日記帳とじっくりつきあって
ゆきたい。
つづるもの 綴られるもの 沖にでてゆく
満ちてゆく 月の真下を 流れる漠は
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どうぞよろしくお願いいたします。
いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊