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母の呼吸をつないでくれる人たち。

書いている時って、すこしだけ
息を止めてしまっている時がある。
昔からの癖だ。

あ、今息を止めていたんだって気づくたびに
少しだけ息のこと、呼吸のことを考える。

母は9年ぐらい前から、酸素ボンベのお世話に
なっている。

外出するときは、ショッピングバッグの小型版の
ような縦長の酸素ボンベと歩く。

いつもどこかに出かける時は急いでいるので、
玄関先をゆっくり眺めることはないけれど。

この間、ふと見慣れた景色がふいに生々しく
感じられた。

母の酸素ボンベがそこに並んでいる。

あ、母の呼吸がそこに並んでるって思ったのだ。

はじめは、ふたりでとても悲観したけれど。

もう半ば相棒ねって母は言う。

酸素ボンベをして歩くことを誰かに見られて
恥ずかしいと思うことはないよって言ってくれるので、
娘のわたしとしてはかなり彼女のその性格に
助けられている。

9年以上もそういう生活が続いていると
我が家ではあたりまえの風景なのだけど。

ふと酸素ボンベだけが単体で並んでいる
景色をぼんやりと眺めながら、

あぁ、あれは物じゃなくて無機質では
あるけれど、母の呼吸の一部なんだなって
思ったら、すこし心がゆらっと揺らいだ。

離れた場所で、いつも呼吸が待っている。

母を助けるために、いつもスタンバっている。

なんだか、ありがとうねみたいな気持ちに
なった。

家の中ではいつもいつも酸素を補充しなければ
いけないわけじゃないけれど。

そしていつもそれを運んできてくださるのは
帝人ファーマの担当の方。

カニューラという鼻とマシンを繋いでいる塩ビ製の
管のどこかが曲がっていたりすると、うまく酸素が
運ばれない仕組みになっていて。

マシンはセコムみたいに、自宅と事業所とつながって
いる。

家の中には、すこし大きめの3リットルの酸素が
吸える器具がリビングの電話の横に置いてある。

薄い青色の、邪魔にならない機械だ。

そしてその器具はわたしたち素人では、内部の
クリーニングなどができないので、帝人ファーマの
専門の方に年に2回ほど来て頂いて中の掃除を
してもらう。

その機械の内部を作動させながらモーター音の
中でクリーニングやメンテナンスをしてくれる時、
なにかそのマシンを労わるように拭いたり優しく
汚れを拭ったりしてくれる。

それは30分ほどの作業だけど、担当の方の丁寧な
作業をみているだけで、なんだか気持ちが穏やかに
なってゆく。

母の呼吸の代わりになってくれるその機械を労わって
くれるということは、母の呼吸を大切に思って
くれているような気持ちになるのだ。

あれは、3年ぐらい前のクリスマスイブの日だった。

クリスマスは祖母の命日だったので、夜眠る前に
祖母との思いで話をしたあとおやすみなさいを
した。

夜明け近くにわたしは目が覚めた時、空耳なのか
ピンポンの音で目が覚めた気がした。

でも、寝ぼけていたのでそのままにしていて
また再び眠った。

そして目が覚めた25日の朝。

リビングの電話の緑の留守電ランプが珍しく
何度も点滅していた。

なにごとかと思って聞いてみると、あのいつも
お世話になっている酸素ボンベの会社
帝人ファーマの担当の方からだった。

夜明け5時前頃で。
3度ぐらい電話が入っていた。

母が酸素吸入器をして夜眠っていた時
気が付かずに酸素のカニューラという管を
身体の下敷きにして眠っていたので、事業所の方が
大変なことになるまえに駆けつけて来てくれていた。

そこまで、気にかけてくれていたことに、おろおろ
した。

後でお聞きすると。

酸素の不具合のサインをキャッチすると駆けつける
ことは彼らの事業所の仕事の一部らしい。

母とふたりで、その事実を知ってあわてて、
ごめんなさい無事です大丈夫でした。
お手数おかけしてしまって、と、電話で謝った時も
彼は、あぁよかったです。

安心しましたとまるで家族のように安堵の声を
聞かせてくれた。


クリスマスってみんなが幸せに愛するひとたちとだけ
過ごしているわけじゃないことは知っていたけれど。

その日宿直だったであろう彼が駆けつけて来てくれた
ことに感謝した。

思えば、彼はクリスマスの日の母の呼吸を守ろうと
して駆けつけてきてくれたことになる。

仕事だったとはいえ。

真夜中に何駅も隣町から車を走らせてくれたことには

感謝しかなかった。

そしてその事実を知った母の眼にはすこしだけ
うっすらと涙が浮かんでいた。

先日、帝人ファーマの方の社員の方のインタビュー
記事をみつけた。

元原さん「入社した最初の1年間、僕に仕事を教えてくれた先輩からは、よく『ダサいことはするな』と言われていました。これはつまり、例えば自分で言ったことを実行しなかったり、『自分がカッコ悪いと思うことはするな』という教え。会社に入ったらもっと、資料の作成方法のような、実務的なことを最初に教わるのかと思っていました。しかし、意外と具体的な話よりも、責任感を持って最後までやりきる“ハート”の部分を教育してもらった1年間でしたね。今も当時養ったマインドは、仕事でさまざまなことを判断するうえでの基準になっていると思います。」


やはり、この理念が貫かれているんだなって思った。
「自分で言ったことを実行する」これって、ほんとうに
まっとうしようと思ったら、たいへんなエネルギーを要する
ことを知っているつもりのわたしはほんとうに頭が下がる。

最後までやり切るという言葉を、あのクリスマスの日に
夜明けに我が家を訪れてくれた担当の方と重ねていた。

そして震災では、患者さんたちの所属している地域の
避難所に、その患者さんがいらっしゃるかどうかを確認
しながら、担当の方がそれぞれのエリアで酸素ボンベを
すみやかに提供していたことものちに知った。


母をふくめた患者さんたちの呼吸は、たしかな方たちに
ゆるぎなく守られていることに、胸がいっぱいになります。


<息は世界をつなぐもの。かつてここに存在して
いた人たち、これから存在するであろう人たちと
も僕たちをつなぐもの>

いつか聞いたことのあるこの言葉を思い出していた。

帝人ファーマの酸素療法の機器を扱っていらっしゃる
方は、息をここにつないでくれている。

推しという言葉がふさわしいかどうかわからない
けれど。推します。

いつもお世話になっている帝人ファーマの担当の
方たちのふるまいややさしさ。

日々の母の息がたくさんの方に支えられていることは
母とわたしのゆるぎない「希望」です。


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