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心が目覚めた日のことを<セカンド・バースデイ>って言うらしい。

ジグザグと点と点をつないでグラフを毎朝

つけていたことがある。

体温を測って、5分後に現れるのがとりあえずの

今日のじぶん。

それをたぶん、3年ばかり続けていた朝の日課

だった。

蛇腹式の体温表を巻紙のように伸ばしてみると

昨日のわたしの点と、さっき生まれたばかりの

今すぐの点がずっと連なって手をつないでいる。

それは、わたしが生きている証だ。

五線譜の上にならんだ音符を想像して、

その体温表を置き換えてみる。

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すっごい短調の曲が思い浮かぶ。

学生だった頃、朝のミサの時に歌っていた聖歌のようだ。

その時、昔のグラフの中からちょっとした

一枚の走り書きがでてきた。

すごい過去の走り書きは、ちょっと見るのがこわい。

心の隅の方に追いやっていたであろう言葉の欠片が

並んでいるのだから。

おそるおそる折りじわのついた紙をひらく。

①元気になったら、ちゃんとまわりの生き物を
 今以上に大切にしよう。

②母への食事をもっとていねいに作ろう。

③ちょっとしたことで、チェっとか言わない。
 舌打ちを自分に打たない!

④喧嘩した時にあの人のことを、完膚なきまで
 やりこめない!彼の逃げ場所を作ってあげること。

今ここにタイピングしていても、こっぱずかしいの

だけれど。

まるで、怒られた子供みたいに反省モードの言葉が

並んでいた。

元気を損なっていたから、元気になるための目標の

ようなナビゲーターにしようとしていたのかも

しれない。

そして、あの頃の日々が蘇り、あの頃の日記を

ひもといた。

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夜眠る前になると空を見上げるって書いてあった。

今よりも余裕があったんだろう。

星が浮かんでる。

遠くで鳴いている蝉の声が束になって聞こえるって。

遠くの林で生きている命のエネルギーが、

夜のリズムで迫ってくる。

そんなことも書いてあった。

なんであれ、エネルギーに憧れていたのだたぶん。

あの頃わたしには好きな人がいた。

そしてその人が言った言葉を今思い出した。

いつまでも、今のままではいられないし、
僕だけじゃなくて、あなただって年をとって
ゆくんだから。僕の方が早く年を取りそうな気が
するのはなぜだろうね。

そう言って笑ったことを。

年を取るということに敏感になっていたその頃の

わたしは、少しそれを言われて内心チェっとかって

思っていたかもしれない。

でも、これはほんとうにあたりまえの、誰にでも平等に

訪れる時間の話だ。

今思い出したって書いたけれど、わたしはそのことを

何週間か思い続けていたことに気づいた。

そしてまったくもってまっとうなその言葉を

何度も心の中でなぞってみる。

繰り返しているうちに、なんだかふいに正しい

ことがわかったような気がしてくる。

いつだったか、自分が理解できた日のことを

どこかの国ではセカンド・バースデイって

言うんだよって、彼が教えてくれた。

なんだかほんとうにそうだと思う。

あの頃ちょっとした身体の不調でそんなことばかり

思っていた頃と、世界中が病にとりかこまれている

今を少し重ねてみる。

人の死は数字じゃないんだって。

ひとりひとりに顔と名前と記憶があるんだって。

そして、

身体と心が無事であること、それはかけがえなくて。

あの日のあなたがどこかの空のしたで

身体と心が無事であるといいなと思う。

大好きな人たちがどこかの空の下で

身体と心が無事であるといいなと思う。

そして、わたしの身体と心が無事であると

いいなと。

あの日彼が教えてくれたセカンド・バースデイ。

それは、きっとわたしの人生にこれから何度も

訪れるのだろう。


アスファルト こぼれたままの てんてんつなぐ
なつかしい 昨日のかけら 空に帰るよ





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