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ひとりは好きだけど、拒まれるのはこわかった。

言いたいことはちゃんと口で言いなさいって

言われて。

言葉にする術を知らなくて。

それは大人になってしまった今も続いていて。

なにかを否定された時に反射的に言葉が

返せない。

そしていつだって側にいる人が援護射撃して

くれるというその繰り返しで生きて来た。

今日は、8月18日。

今きっとすごく憂鬱な日々を送っている人は

いるんだろうなって思う。

なんだか指折り数えることすらもう

めんどくさいよってなっている人も

いるかもしれない。

誰かの身になって考えるって難しい。

みんながあーだこーだって言っていたら

雑踏に放り込まれた時に、人の話し声だけが

耳のなかでリフレインするみたいで

苦しいだろうなってそんなことも思いつつ。

誰かを励ますだなんてそんなおこがましい

ことはできやしないけど。

わたしは人が平気なこともかなり平気に

クリアできないタイプなので、いつだって

いっぱいいっぱいになってしまう性質で。

さっきもそんな感じになってしまって。

ぼんやりと最近好きになったこの人の曲を

聞いていた。

叫べばいいって言われても

ムンクだって叫べていないんだよって

思いながら。

叫んでいたらもっと楽になれるって

想うけど。

こうやって彼が叫べばいいよと歌うことで

なにかの代わりになってくれてる気がする。

わたしの家の隣のお兄さんは、時々夜になると

凄い獣のような悲しい声で叫ぶらしく、そんな

声が聞こえる。

はじめはびっくりしたけど。

彼はきっと叫んでなにか1日のうまくいかなかった

バランスをそこで保とうとしてるんだなって

思った。

近所の人はこわがるけれど、わたしは叫んで

いいよってその声を聞くたびに思ってしまう。

普段会うと驚くほどいい人で親切な方だ。

きのうはわたしはひとりぼっちだから

きっと誰かと出会えるのだということを

書いたけど。

それはひとりぼっちである、言葉の叫びに

気づいたひとが、手を差し伸べてくれる

こともあるということを知って、そういうことを

書いたのだけど。

でも8月31日について、切羽詰まっていないわたしが

書くことにどんな意味があるんだろうって思い

ながらちょっとこれを読んだ若い方は

偽善的な匂いがするって想うんだろうなとか

ほんとうに自信なさげに書いている。

わたしは子供もいないので、親の立場に

なったことがあまりなくて。

いくつになっても子供目線が抜けない。

今、わたしが子供だったとしたら。

こういう言葉に出会いたいだろうなって

言う人がいる。

もう読んでいる人もたくさんいるだろう

けれど。

嫉妬したくなるほど、言葉を単なる意味と

イコールにせずに使うことのできる

詩人の最果タヒさん。


わたしがはじめてちゃんと彼女の言葉に

向き合ったのは、雑誌の中のエッセイの

言葉だった。

どんなにシェアされたって、私が聞きたいのは
それじゃない。


そんな冒頭の言葉から始まっていた。


SNSで教えてもらった好きな食べ物、
好きな音楽、そんなものを知ったところで
私はまだまだきみを知らず、きみに会いたいとも
思わない。


この言葉を読んだ時、わたしは離人症って

いうのかな。

自分が住んでいる世界が昨日までの世界と

違うところにいるように感じることがあった。

あと隣に人がいることがちょっとダメで、

ひとりであることが心地よくて。

SNSで誰かと親しくするとか社交するとか

考えられない時にこれを読んだ。

SNSってもはや、今を生きる人にとって

ライフラインだよっていうことも知って

いたけど。

自分のせいで色々な人間関係をつぶして

きたような過去から逃れられず。

誰ともつながらない日々を送っていた。

だからこの言葉に触れて、わたしはいま

いちばん欲してる言葉をかけてくれた人に

孤島で思いがけなく出会ったような気がした。

そして最果タヒさんは続ける。


フェイスブックはつながるだけで「友達」だ
なんて言うけれど、でも他人がかき集めた
「好きなもの」を見ただけで、その人を知った
つもりになるわけにはいかないんだ。失礼だろう。


今これを読んでいる10代の人がどう思うか

わからないけど、わたしはスカッとした。

そしてこういう言葉を自分が10代の時に

読んでいたらと夢想した。

彼女は詩人だから、言葉と生きているけど

詩人じゃなくて人が言葉と生きていると

いうことをよく知っている人だ。

そして言う。

共有だとか共感だとかそんなことを忘れて
しまえば、きっと溢れてくるはずで、だから
私は、そんな言葉がたくさん聞きたいと思う。

この言葉を不特定多数の読者にむけて

最果さんは送っているのにすごくわたしの

心へとある日突き抜けるように届いた。

拒まれていないんだって勝手に思った。

きみのことが知りたいんだって彼女は

このエッセイの中で語りかけている。

あなたが好きとか嫌いとかじゃなくて

わかるとかわからないとかでもなくて。

わからないこと含めてあなたを知りたい

そう言っているんだなって思ったら。

わたしは誰からも拒まれているとずっと

想いながら生きていたことに気づいて、

確かにそういう反面あったけど。

最果タヒさんの言葉なら信じられるって

おこがましくも想った。

今なら受け入れられると思ったあの頃を

思い出す。

あなたの心にも生の声じゃなくてもそういう

言葉を放ってくれる誰かがみつかると

いいなと思いながら。

なんども8月31日の夜にを、ながながと

書いてごめんなさい。

出会ったことのないあなたにむけて

書いてみました。

えらぶって 捨てることだと 誰かが言った
偶然の 生きてる猫と 抱擁したよ


いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊