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言葉は、わたしの中に降り積もるから。

今日ここになにかを、書こうとするとき

どんな言葉を選ぶかは、きっと今日いちにち

わたしに起こったさまざまな出来事に

影響されている気もする。

温かい言葉にたくさん触れたこの2日間。

みなさんにお祝いの言葉をたくさん贈って

いただいたので。

たくさんの、思いがけないうれしいい

言葉がわたしのなかに降り積もっていった。

言葉はこうやって、日々を過ごす中で

じぶんのなかにふりつもってゆくもの

なのかもしれない。

ネガティブな言葉を吐きたくなる出来事に

見舞われることもあるし。

悲しすぎて言葉にならない日もときにある。

そんな出来事はいつも不意のことなので

じぶんのなかで狼狽えてしまったりする

ものだ。

正直、毒を吐いている人のそばにはあまり

近寄りたくない。

毒を吐いている人たちのまわりは、みんな

蜘蛛の糸のように毒を吐く。

そうすることでしか、生きていけない人

たちもいることも知っている。

かつてのわたしが多分そうだったから。

群れることはなかったけど、ひとり

毒を吐いていたような季節があった。

あの季節にはもう戻りたくはない。

いつだったか、気持ちが凹んだまま

誰かに会って、ふいに

「元気そうだね」って言われたことが

あった。

はっとした。

内心は元気じゃないのに、その人はわたしの

顔をみてそういった。

思いがけず元気そうな顔をしていたんだな

って思った。

それって。

わたしじゃなくて、声をかけてくれたその人が

元気そうな顔であいさつしてくれたから

わたしも元気になったんだと思う。

言わなかったけどそんなことを思った。

まず、余程なことがない限り、 自身から笑顔で接しないのに相手が笑顔になるわけない。 というただただかんたんな素の自分ルールを持ってはいる。 そこに意図は持ったことはない。

とある方のツイートより。

まったくそういうことなのだ。

わたしがその日笑顔になったのも

その人が明るく接してくれたから。

言葉だって、同じかもしれない。

じぶんの経験からにじみでた、

そんなやさしいことばを知っている人は

その経験の中の沈殿したなかに苦労や辛苦を

捨て置いてきた人なのだろう。

だから透明に見える上澄み液のような

言葉を放つことができる。

今はそういうひとに目を向けていたいし。

そういうひとのまわりの空気を吸って

いたいと思う。

コメント欄でおめでとうの言葉を贈って

くださったみなさん、とても温かな時間を

ありがとうございます!

これからもどうぞよろしくお願いいたします。


ビーカーの 中の言葉 輝いている
上澄み液を そっとすくって きみにあげる

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