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村上春樹をはじめてJRの中で読んだ日。

電車やバスの中で読む本は、家の中でじっとして

読む時よりもグルーヴ感みたいなものが違う

感じがする。

生まれてはじめて、好きな曲をイヤホンの中で

いっぱいにして、街を歩いたときの、景色が

いきいきと動きだしたような感じとも似ている。

耳をくすぐる音楽が重要な背景なのではなくて

景色そのものがもうすでに、重要な出来事に

なったような。

わたしは村上春樹の、熱い読者ではなかった。

30代になった頃に、

大学生の頃の彼やその友人達が夢中になっていた

あの本のページをもういちど、めくろうと

していた。

彼らが熱く村上春樹を語るたびにわたしは

わたしだけがみえていない世界をみている

そんなちょっと疎外された気分になった

ことを覚えてる。

なのに、ひとりでどこか村上春樹を突然

知りたくなったのだ。

彼ら同級生とはもう会えなくなったその頃

村上春樹に遅刻して出会った。

ジャズバーを経営する主人公と彼が昔好きだった

島本さんとの別れと再会とそして別れが描かれた、

『国境の東、太陽の西』。

よく不倫小説だと解説されるけれど。

小説の中で不倫を描くことのほんとうの輪郭を

よくわかっていないので、不倫小説という

カテゴライズにはあまりなじめない。

島本さんが呼吸するように吐くセリフが

好きだった。

私には中間というものが存在しないのよ。私の中には中間的なものは存在しないし、中間的なものが存在しないところには、中間もまた存在しないの。

島本さんはこんなことをいう。

比べるまでもなかったけどわたしとは真逆な人

だなって思った。

わたしはいつも中心線がくゆっているって好きな

人に言われてからなぜか中心だけで出来上がって

いるのが自分だと思うことがあった。

今もどこかそんなふうに思っている。

島本さんは続けてこんなふうにいう。

だから私を全部取るか、それとも私を取らないか、
そのどちらかしかないの。それが基本的な原則なの。

あの頃読んだ時、挑む姿勢が眩しかった。

同じじゃないから主人公と同じく、わたしも

島本さんが知りたかった。

最後まで島本さんのプロフィールは、どの欄も

埋まることがないぐらい謎に満ちているのに

島本さんという美しい女の人のしぐさや着ている

ものや会話のなかにふとおとずれる凪ぎの時の

たたずまいまでもが浮かんでくる。

東京方面へと向かう電車のシートの端っこに

座って、ページを開いていた。

大船や横浜あたりではまだわたしはありとあらゆる

距離を感じていたのに、ふとページから顔をあげた

川崎あたりでは、小説の中の片隅にいる常連めいた

ジャズバーの観客へと変わっていて、いつもと景色が

違って見えた。

ホームにあふれる人たちに、ひとりひとりの生活が

その背中の向こうあたりにあって。

まっとうにみんなひとりなんだなぁという思いが

突然過ったのだ。

小説の中のジャズバーの中のピアノトリオが奏でる

<スタークロスト・ラヴァーズ>という曲が、

活字の中で蠢いて、そのページのあわいからはみだす

空気のようにあたりをふわっと包む。

不安や悲しみやつかのまのよろこびが、主人公と

彼女のまわりを通奏低音のように横たわっている。

彼らの不安は、わたしそのものの不安ではないはず

なのに。

もう彼らの想いはわたしの心情にちかづいている。

ほんとうに会いたい人には、いつか会えなくなって

しまうものなんだ。

知ってはいたけれどやられたなって思った。

ページを閉じることが惜しくなってしまう。

走り続ける電車の中でそんな経験を味わった。

電車の中で本を読んでいる間、ずっとずっと

満ちているのに、ぽっかりしている時間を名前も

しらないのにひどく親密な誰かと共有していた

ようなそんな気がしていた。

わかること 置き去りにして わすれてしまえ
わからない 人としてどう? 問いは聞かない



 

いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊