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【短歌エッセイ】七夕を巡る思い出

 少し前の6月20日に、月1回の持病の診察を受けに、かかりつけ医を訪ねた時のこと。
 その医院は、1階に入口があり、受付や診療は2階で行われているのだが、2階に向かう階段の踊り場の壁に、布の絵がかけてあるのが目に入った。



 これがその写真だ。
 6月だったのでまだ意識はしていなかったが、そうか、もうすぐ七夕だったな、と思い出された。
 実際に、笹や七夕飾りを用意するのもいいが、本業に差し支えてはいけない。
 絵一枚で、季節の風情を感じられ、受診する患者の気持ちを少しでも和らげられたら、との思いからなのだろう。
 眺めて、ほっこりと気持ちが和んだのだった。

飾られし 壁掛けの絵の 七夕が
        医院の患者 そっと和ます



 七夕は、梅雨期間中であることが多く、曇りや雨で星空が眺められない年も少なくはない。
 4年前である2020年の七夕もそうだった。
 予報から大雨で、もはや星空を眺めることなどできもしない状況だった。
 その日の夕食に作ったスープには、人参を星形に切ったものを入れた。
 空の星は見えなくとも、代わりに感じられるものはある。

大雨で 微かに味わう 七夕は
        スープに浮かぶ 星形人参



虐待を する親いなく なるように
          星に願うよ 七夕の夜

 上記の短歌は2018年7月に作ったものだが、4年後である2022年7月の下記「【短歌】星への願い」の記事でも、「虐待を する親いなく なることを 願うかつても 今も未来も」と詠んだ短歌を掲載した。

 「かつて」とは、上記2018年7月の短歌を受けてのことであり、またそこまでに至る私の人生を思ってのことでもある。

 過去回想として記した上記「【短歌】決別」にあるように、かつて私は毒親である親自身から絶縁された。親に意見し親の言いなりにならない子供なら不要と判断されたのだろう。
 そのため、絶縁された2021年1月以降現在まで関わりはない。幸いなことだ。
 それでも、今も未来においても、私は願うのだ。
 毒親育ちである私にとって、社会から子供への様々な虐待がなくなることは、他人事ではない願いだ。



 noteでは、短歌に限らず、小説、詩、エッセイと、多方面に創作・執筆している私だが、かつては短歌のみを集中して創作していた時期もあった。

これからも 短歌を愛づる 人々と
       出会わるること 星に願わん

 上記は、そんな2002年の七夕に作った短歌だ。
 時を経て、noteでは、短歌を作る多くの方と記事を読み合い、スキやコメントで交流させていただいている。
 願いが叶っているのはすばらしいことだ。
 もちろん、短歌に限らず、小説、詩、エッセイを通しても、今後も交流させていただきたいと思うし、今交流させていただいている方々に心から感謝するものだ。
 改めて、noteという場を選んだ過去の自分の選択を称賛したいし、今ある幸運を大事にしたいと思っている。







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