桃山城ボブ彦

60年代の音楽、あとは映画、それからたまに野球を偏愛する文章を書いとります。

桃山城ボブ彦

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記事一覧

【嗚呼! 偏愛のグループサウンズ】その4 ブルー・ジーンズ(クラウンの)

まず最初に言っておくけど「グループ・サウンズ」を好む人間は、当時の人でも後から興味を持った連中でもそうだけど、「歌詞から入った」ケースは非常に少ないのではないだ…

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【嗚呼! 偏愛のグループサウンズ】その3 ザ・カーナビーツの最後の意地はレフト・バンク

 グループサウンズ時代の悲劇というものを一つあげるとするならば、バンドに楽曲を提供していた作曲家やディレクター連中のなかに、担当しているバンドの音を「邪道」と思…

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【嗚呼! 偏愛のグループサウンズ】その2 『ハプニング・ポップス’68』を聴く

 突然ですが私がその昔、東京で学生をしていた時に「ああ、食ってみたい」と思いつつ今に至るまで終に口に出来なかった店と言えば早稲田界隈にある三品食堂なんですよな。…

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【嗚呼! 偏愛のグループサウンズ】その1 ムスタング

 ムスタングというバンドは”グループ・サウンズ”という名で総称される1960年代中後期の日本のロックシーンを好んで聴く人間が、かなり初期の段階でぶち当たる一つの快楽…

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【嗚呼! 偏愛のグループサウンズ】その4 ブルー・ジーンズ(クラウンの)

【嗚呼! 偏愛のグループサウンズ】その4 ブルー・ジーンズ(クラウンの)

まず最初に言っておくけど「グループ・サウンズ」を好む人間は、当時の人でも後から興味を持った連中でもそうだけど、「歌詞から入った」ケースは非常に少ないのではないだろうか。だって、グループ・サウンズの歌詞世界は最初から最後までいわゆる「やおい」の世界なのだから。あ、ここで言う「やおい」とは「ヤマなしオチなしイミなし」という古典的な意味でのものです。当時ですら世志凡太が「グループ・サウンズの歌詞なんての

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【嗚呼! 偏愛のグループサウンズ】その3 ザ・カーナビーツの最後の意地はレフト・バンク

 グループサウンズ時代の悲劇というものを一つあげるとするならば、バンドに楽曲を提供していた作曲家やディレクター連中のなかに、担当しているバンドの音を「邪道」と思っていた人間が結構いたことだろう。そういった連中はひたすらにファズ・ギターに白い眼を向け、バンド単体の音にストリングスとブラス・セクションをぶち込んだ。おまけに、「バンドに勢いがあるうちに大人びた楽曲(歌謡曲である)を提供してやらなくちゃ」

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【嗚呼! 偏愛のグループサウンズ】その2 『ハプニング・ポップス’68』を聴く

【嗚呼! 偏愛のグループサウンズ】その2 『ハプニング・ポップス’68』を聴く

 突然ですが私がその昔、東京で学生をしていた時に「ああ、食ってみたい」と思いつつ今に至るまで終に口に出来なかった店と言えば早稲田界隈にある三品食堂なんですよな。豚カツにカレーに牛めしという三品への特化、もう人間の夢しかつまっていないラインアップで学生達を魅了している店にもかかわらず食えなかった理由は、店がワセダ大学のテリトリーであることを恐れたからというよりも、単に当時極度の胃弱で完食する自信が無

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【嗚呼! 偏愛のグループサウンズ】その1 ムスタング

【嗚呼! 偏愛のグループサウンズ】その1 ムスタング

 ムスタングというバンドは”グループ・サウンズ”という名で総称される1960年代中後期の日本のロックシーンを好んで聴く人間が、かなり初期の段階でぶち当たる一つの快楽である。彼らの強烈な2曲、『ゲルピン・ロック』と『ムスタング・ベイビー』はおそらく当時よりも後世の方が好んで聴かれた楽曲だろう。それ程にまでこの2曲はあちこちのコンピレーションCDに入っている。

 1968年5月号の『ミュージック・ラ

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