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【嗚呼! 偏愛のグループサウンズ】その2 『ハプニング・ポップス’68』を聴く

 突然ですが私がその昔、東京で学生をしていた時に「ああ、食ってみたい」と思いつつ今に至るまで終に口に出来なかった店と言えば早稲田界隈にある三品食堂なんですよな。豚カツにカレーに牛めしという三品への特化、もう人間の夢しかつまっていないラインアップで学生達を魅了している店にもかかわらず食えなかった理由は、店がワセダ大学のテリトリーであることを恐れたからというよりも、単に当時極度の胃弱で完食する自信が無かったからです。今も胃弱です。ああ、哀しい。


 でも、GSの三品となったら話は別なのである。んじゃ、それは何ぞや?


 それは、1968年というGSの全盛期にどのバンドもこぞってカバーしたビートルズ、ビー・ジーズ、モンキーズの3バンドということになる。いや、ホント。この年にアルバムをリリースしたバンドは、それこそ殆ど必ずと言っていい程にこの3バンドの何がしかをレコーディングしているといってもいいくらい。1966年の来日公演でベンチャーズ一強の季節に終止符を打たせ、日本にボーカルバンドの時代をもたらしたビートルズ、日本で初めて洋楽としてオリコン1位を獲得した(『マサチューセッツ』)ビー・ジーズ、68年の世界的アイドルであるモンキーズは、当然日本でもリアルタイムの洋楽として熱心に聴かれていました。だからどのバンドも『レディ・マドンナ』や『ハロー・グッドバイ』をカバーしたし、『すてきなバレリ』を熱唱したし、あまりに渋い『ホリデイ』でワビとサビの世界にリスナーを誘った。あの魔境、クラウン・レコードのレンジャースですら『スター・コレクター』を演奏していたのだ。

 そんな1968年のGSの三品に特化したアルバムが、ザ・ハプニングス・フォーのクニ河内が殆ど匿名に近い形でリリースした『ハプニング・ポップス’68』なのである。何しろこのアルバム、本当に上記の3バンドしか演奏していないのだ。それぞれの曲を4曲ずつ収めたこのアルバムはそれでいて、それぞれの曲にこれでもかとストリングスとブラス・セクションをまぶした妙な味わいの1枚に仕上がっている。クニ河内のチェンバロに聞き惚れてしまうこのアルバムは実に楽しい。

 ……しかし、ザ・ハプニングス・フォー(ハプ4)というグループは一体全体、グループ・サウンズなのだろうか? ギター・サウンドを重要視しなかった彼らの本質はボサノバへ傾倒したモンドなラウンジ・グループである。何よりも彼らはブルーコメッツがそうであったように音楽的基礎が高く、グループ・サウンズに多かれ少なかれ必要な粗野さというものが欠けていて、危うさが皆無である。

 1967年に『あなたが欲しい』を自作してデビューした時から彼らハプ4は完成されていた。少なくとも、プロコル・ハルムの『青い影』の影響下にあるこの楽曲を、編曲まで自ら処理出来るソツのなさが彼らの強みだった。一説にはビートルズが来日してキャピトル東急に宿泊していた時、地下のラウンジでスタンダード・ナンバーをシレっと演奏していたのはハプ4であり、ビートルズがそれを聴いていたという説すらある。ハプ4の目標はセルジオ・メンデスあたりのボサ・ノバにあって、ロックに対しては「まあ、やれというならやりますよ?」といった具合の営業ノリで臨んでいた感覚がある(まあ、それでも彼らだってデビュー・アルバム『マジカル・ハプニングス・ツアー』をロンドンのビートルズに送りつけたという輝かしいロック精神があるのだが)。

 そんなハプ4のフロントマンだったクニ河内の『ハプニング・ポップス’68』はソツがない。ジャケットのサイケデリックさに反して、それぞれの楽曲のアレンジは王道から逸れようとしない。バラード、ポップス、ビートものをオーケストレーション、ボサ・ノバ、ビッグ・バンド・ジャズの3方面で器用に調理しているその音世界は、まさにGS界の三品食堂なのである。食堂名物のミックスなのである(俺、食ってないけど)。

 例えば、『すてきなバレリ』において薄いファズ・ギターに重厚なブラスセクションとクラリネット・ソロが割り込んできて一種独特の緊張感を生み出す一瞬は、今のバンドでいうなら東京スカパラダイスオーケストラあたりに似ている、『レディ・マドンナ』『モンキーズのテーマ』にいたったらラグタイムの趣さえある。

 ハプ4は翌年の1969年にやはり、『クラシカル・エレガンス』という当時のポップスをバロック風味で味つけしたアルバムを発表している。だが、『クラシカル~』がどことなく物足りないのに対して『ハプニング・ポップス’68』はかなり聴きごたえがある。アレンジとノリが営業用な分だけ、リスナーが面白がることが出来る要素があちらこちらに分かりやすくちりばめられているからなのだろう。GS時代の三品食堂である『ハプニング・ポップス’68』は、やはり、美味しい。


 あ、ちなみにGS時代の日本のバンド勢力図に三品、いや三強という時代は遂に存在しなかった。1967年はブルーコメッツとスパイダースの二強の時代であり、1968年はタイガースとテンプターズの二強だった。それぞれの年にカーナビーツやジャガーズ、オックスが三強となるべく肉薄したが、それだけのことだった。そして1969年にはブームは終わり、ただ唯一タイガースだけが最後まで人気を保った。日本人は「三大○○」という定義が好きだけど、GSには「三大GS」という瞬間は遂に来なかったのである。

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