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【嗚呼! 偏愛のグループサウンズ】その4 ブルー・ジーンズ(クラウンの)

まず最初に言っておくけど「グループ・サウンズ」を好む人間は、当時の人でも後から興味を持った連中でもそうだけど、「歌詞から入った」ケースは非常に少ないのではないだろうか。だって、グループ・サウンズの歌詞世界は最初から最後までいわゆる「やおい」の世界なのだから。あ、ここで言う「やおい」とは「ヤマなしオチなしイミなし」という古典的な意味でのものです。当時ですら世志凡太が「グループ・サウンズの歌詞なんてのは太陽と星と渚のいずれか3つの言葉を散りばめときゃ一丁あがり」なんて漫談をしていたという。で、まあ、凡太さんの言うとおりなのです。

さて、そんな前置きをしたうえでこの曲です。ブルー・ジーンズ『星のデイト』。1968年5月、ブルー・ジーンズの2作目にしてラストシングルのA面だ。

はい。もう出だしから「星」でございます。そして、ひたすらに抽象的な言葉の羅列でつづられる激しい逢引き願望。世志凡太さんの言葉を待つまでもなく典型的なグループ・サウンズの歌詞世界です。でも、この歌詞にドン引きせず、これは当時のグループ・サウンズの水準以上の出来栄えの一品だと理解してしまうと、この音楽ジャンルにドハマりしてしまうことになる。皆は気をつけてね。僕はもう手遅れだけど。

何せ音自体はいいのだ。そりゃあストリングスを思いきりバンド演奏に被せているし、バンド自体の演奏も1968年当時としてもいささか古めかしい。が、上手い。重いビートが聴ける安定したリズム隊に、リードギターとピヨピヨのキーボードが絡み、感傷にどっぷり浸った伸びやかなボーカルが歌い上げる。ハッキリいって非の打ちどころのないGSバラードである。無意識のうちの和風サイケの感もある。

このブルー・ジーンズはそう、あの1963年暮れから66年初頭にかけて日本でナンバー・ワンのロック・バンドだった寺内タケシとブルー・ジーンズの正統な後継なのである。そら、上手いに決まっている。黄金期のメンバーはギターの岡本和雄しかいないにしても。

第一期の寺内タケシとブルー・ジーンズは66年の初頭に崩壊した。リーダー兼リード・ギターの寺内タケシが当時バンドが所属していた渡辺プロダクションからの独立を図ったためである。寺内と行動を共にするメンバーはいなかった。独立を試みるには当時のナベプロはあまりに巨大な組織であり、多くのメンバーはそのまま残った。仕方がなく仮病までつかってナベプロを飛び出し独立した寺内タケシは、横浜で腕利きの若手をスカウトして寺内タケシとバニーズを結成しキングレコードのセブンシーズ・レーベルから同年の暮れにデビューする。だが、寺内脱退時点ではまだバンドは日本一の実力者だった。と、いうか対抗できるバンドが当時はスパイダースとブルー・コメッツくらいしかなかったのである。

バンドにとって金看板の寺内が消えたのと同じくらいに痛かったのは、セカンドギターの加瀬邦彦もボーカルを重視したバンドを作るべく66年5月に脱退したことである。当時のブルー・ジーンズはリヴァプール・サウンドよりかはベンチャーズ・スタイルだったのだ。なので加瀬もまた、大学生を中心にワイルド・ワンズを作り『想い出の渚』で同年中に再デビューを果たす。

当時の日本でもっともエレクトリックギターの名手として評判だった寺内と、自作曲が作れる加瀬を失ったブルー・ジーンズはさしずめ、ジョンとポールのいないビートルズのような状態になった。なのにバンドは、本物のジョンとポールがいたグループの日本武道館公演で前座演奏をする破目に陥った。残酷なもんです。

9分20秒からブルー・ジーンズ専属シンガーだった内田裕也のバックでジョン・レノンに似せた帽子を被ってギターを弾くのが岡本和雄。アニマルズの『朝日のない街』を実に渋くカバーしている。

寺内も加瀬もいないブルー・ジーンズが『工藤文雄とブルー・ジーンズ』を名乗ってトップ・バンドを維持したのはこの武道館での前座演奏あたりまで。その後は内田裕也も渡欧してしまい紆余曲折あってグループ・サウンズのチベットことクラウンレコードから1967年11月に再デビューをしたのが今回のブルー・ジーンズ。彼らのデビュー時点でかつての僚友寺内タケシはバニーズで、加瀬邦彦もワイルド・ワンズで既に圧倒的な人気とレコードセールスを得ており、「昔の名前で」再デビューしたブルー・ジーンズにはデビュー曲に中村八大から曲を提供されたことと、ボーカルが元クレイジー・ウエストの田川譲二であることくらいしか話題がなかった。んでもってそのデビュー曲『マミー』もフォーク・ロックと明朗な青春歌謡の垣根を彷徨った挙句に青春歌謡に転がり落ちて不発に終わった。『マミー』、僕は好きですけどね。バンド単体の演奏だし。


結局、クラウンでのブルージーンズは売れなかった。1年ごとに音楽シーンが目まぐるしく変わっていた当時、ロックで「昔の名前」をもってスターダムに返り咲くチャンスは転がっていなかったのだ。ただただ、ラストシングルのB面にA面以上のGSビートの傑作『ワン・モア・プリーズ』という大仕事だけを遺して彼らは消え去っていった。

岡本和雄の作になる『ワン・モア・プリーズ』はグループ・サウンズのビートの中でもかなり過小評価をされているけど、曲の出来栄え自体は他のどんなバンドのビートものにも優るとも劣らない。ベース→ドラムス→タンバリン→ストリングスと重ねていくことで否応なしに期待感を持たせるイントロがそうだ。サビに入る前にひたすらその後に控える快楽を抑えて耐えに耐える田川譲二のボーカルがそうだ。そこから畳みかけられる「も一度も一度」とフィニッシュを煽り立てるコーラス隊がそうだ。おまけに間奏では岡本和雄のファズギター・ソロとストリングスのせめぎ合いまである。とにかく「静」と「動」を巧みに使い分けた大名曲なんである。

この曲の惜しい点はガレージ・ロックになれなかったことだけだろう。ストリングスが被さってるからではなく、田川譲二のボーカルが非常に冷静すぎるのだ。ジャケットの右端でポーズを決める彼の更に右には黒い二代目ニッサン・セドリックが映っている。せめて名車セドリックくらいにブルー・ジーンズ(クラウンの)に陽があたる時が来ないものかね。

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