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問題から始まるデザインのブレイクスルー

アーティストやデザイナーが、クリエイティブな創造プロセスにおいて、ものを創ると同時に、なぜそれを破壊するのか。
今日はその理由を綴ります。

人は何かの問題が起こったとき、軌道修正や方向転換を迫らせるとき、
それをチャンスとして捉え、冷静に対応するのか、
うろたえて、不満を漏らすだけなのか
ケースバイケースではないでしょうか。

いかなる仕事においても、問題というものは常にネガティブな要素しかないと捉えられがちなのですが、一方で、みなさんこんな経験はありませんか?



「現状のものへの修正や方向転換を依頼されたことで、
結果的に以前より良くなった」



私にも時折これがあります。
では、これがなぜ起こるのかでしょうか。

問題の起きていた状況を分析するとこんな感じです。



自分視点ではOK ⇄ 相手視点ではNG



これにはいくつかの理由が考えられるのですが、いずれにしても言えるのは、2者間で見ている点が異なるということです。
そして軌道修正による改善の本質は以下であると言えます。



「他者視点を取り入れたことによるもの」



私たちの背中には目がありません。
ニーチェの哲学思考に、人の視点はそもそも限定的であり、その限定的な視点で世界を捉える限り、視界は必然的に限定的となるという「パースペクティブ」という哲学があります。
一個のりんごが目の前にあるとして、見えてくる皮の色味や、細かな斑点模様、部分的な腐り具合などは見るサイドにより変わります。私たちの目は常にある「見えている」ものしか捉えることができないわけですが、できることと言えば、別の角度からの視点を想像することくらいです。


人が何かを「見えている」とき、必ず「見えていない」ものが介在します。
そして、その見えているものへの焦点の力が強いほど、そこから離れることが容易では無くなります。
簡潔に言うと、こんな感じです。



「こだわればこだわるほど、捨てるのが惜しくなります。」



つまり、主観が入りすぎることによることが問題の起因になるケースが多いわけです。

デザインをはじめとしたクリエイティブな現場では、この限定的な視点をできる限り「広める」必要があります。デザイン表現が他者に向けられている限り、関わる人が多ければ多いほど、この客観的視点が必須になります。

私たちは年齢、人種、環境をほぼ問わず
「自らの心地いい」視点で留まる傾向があります。


一度構築した視点を疑う



その視点から離れてみる。壊してみてもいい。



次に、他者の視点も受け入れてみる。



この一連のプロセスが、
「ある種のクリエイティブな飛躍」をもたらす可能性を秘めてます。

私たちは何かの問題が起こるとき、それがもたらすと想定される損害が大きければ大きいほど落胆します。
ただ、強いクリエイティブ表現は時折このような大きな「障害」から始まるケースがあります。もちろんこれに該当しないケースもありわけですが、強いクリエイティブ表現は問題という障壁にあたり、それを踏み台にしてさらに高く飛び越えてくる性質を帯びます。
これは、制作側でさえの当初から想定できないものが多いです。




最後に、もう一度簡潔にまとめておきます。

創造プロセスにおける「表現の飛躍」の背景には、
必ず問題があり、
その問題の原因を作っていた「視点の放棄」が行われてます。


それは人によっては他者の意見を聞くことかもしれませんし、人によっては他者の作品をみることかもしれません。

共通して言えるのは、「他者」です。





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