見出し画像

職業選択を迷う人へ向けて

「他人の声」を聞きすぎる方々へ。好きなこと、なりたい職業がわからない、職業選択を迷う人へ向けて後押しになれる何かを3000文字でお伝えさせていただきます。
今、私は総合大学の2、3年生を教えてます。彼らの多くはまだ将来の職業選択を迷っています。その中でも上京して近い将来東京のデザイン会社へ就職を望んでいる人も何人かいます。そうした中で、


自分がやりたいこと
親をはじめとした社会や周りの期待
自分の力量への自信の欠如
自分の将来への不安
社会人になることへの不安


いろいろな思いがあるわけです。
この大事な時期において、ある度を超えた思いや不安は、将来を左右する大切な舵取りを「あやまらせる」原因となるわけですが、こうした一部の社会経験が未熟な魂にとってこうした見えないプレッシャーをはねのけて、自分が本当にやりたいものへダイレクトに立ち向かうには、相当の自信と勇気が必要になります。

ちなみに私の学生時代はどうだったかを、彼らを見ながら思い返すことがよくあります。幸い私にもいわゆるプレッシャーというものは当然ありましたが、全く気にしませんでした。気にしている暇がなかったというか。。
これには性格もあるとは思いますが、自分の意識を向け方、考え方を気をつけるだけで余計な「ノイズ」に惑わされずに突き進めます。

面白い例があるのでお話します。
私は大のサッカー好きです。
2014年のブラジル開催ワールドカップで完全にサッカー熱にスイッチが入りました。数々の予選を勝ち抜いてきたトーナメントでのブラジルの初戦でネイマール選手がフリーキックでロングシュートの決めたわけですが、ゲームの決定打となったそのゴールを振り返ってネイマールが試合後に語ったセリフを今でも思い返せます。



インタビュワー:ゴールを外す不安はありませんでしたか?


ネイマール:不安よりも勝ちたい一心でした。



ブラジルと言う国はサッカーは賭けの対象にもなっており、勝ち負けは場合によっては相手の選手だけでなく、その家族へ脅迫にも繋がるほどサッカー熱が日本とは比べ物になりません。彼らが試合前に国家斉唱するのを見ればわかるのですが、選手だけでなく「観客全員」が叫ぶように歌っています。つまりそういう国の多くの人の期待を背負って戦うプレッシャーというのははっきり言って想像しがたいわけですが、ネイマールは当時まだわずか20才ほどの若さでこの数億人の期待を背中に感じていたのかもしれません。
この「勝ちたい」が「不安」を超えていなければおそらくプレッシャーでゴールを外していたのか、わかりません。


勝ちたい > 不安


やりたいものが何かわからない。そういう人は多いと思います。食べていくための職業と自分のやりたいことの職業との葛藤もあると思います。それに加えて年齢が若ければ若いほど、「選択肢」が無限にあればあるほど、迷いも生まれやすいです。かつて、私もそうでした。20代は本当に迷いました。迷いの時代でした。
それに、職業によっては「食えるかどうかわからない」狭き門の職業を目指す人であればなおさら不安も大きく抱えるのでしょう。
はっきり言って「考えたら」不安なんて際限なく生まれます。


ちなみに世の中には需要と供給のバランスがあります。
求められることを差し出すことで、自分だけでなく周りも幸せにできるという資本主義の市場原理に基づく考え方があるわけですが、これにおいて抜け落ちている重要なものって何でしょうか?

これ考えてみてください。



「自分が、できるものは何か?」

を問う前に

「自分が、やりたいものは何か?」

を自問してください。



「できるもの」は「やりたいもの」とは意味が違いますので、はきちがえないでください。

「できるもの」と思い込んでいるものを広い視点で俯瞰した時に「ライバルを押し退けて勝てるレベルでない」場合があります。それに、これはのちにいくらでも経験を積み重ねて成長させていけます。ですからこの「今、できるもの」より「今、やりたいもの」へフォーカスする方が、長い目でみた時によほど幸せな満足いく結果をもたらすのだと私は信じています。


進路に迷う皆さんに、ここでもう一つ質問です。
進路を決める際に、みなさんは以下四択のどれに重きを置きますか?

1 自分がやりたいもの
2 他人が自分に求めているもので、自分がやりたいもの
3 他人が自分に求めていないもので、自分がやりたいもの
4 他人が自分に求めているもので、自分が興味のないもの


進路に迷う人は2パターンいます。

一つは全く何も考えていない。
もう一つのパターンは、「2〜4」のパターンです。

答えは「2」という人も多いのではないかと思いますが
私がオススメするのは、「1」です。
つまり、将来の自分が選ぶ職業選択に「他人」という無駄な視点を片っぱしから排除してしまっていいんじゃないかと思うんですよね。

自分の進路を決めるのに、なにも別にマーケッター目線で行くさきを決める必要なんてないんですよ。

皆さんがやりたくないもの、惹かれないものに、ニーズがあったとします。ビジネス視点であれば、そこはビジネスチャンスであるわけですが、そこに楽しさ、純粋な興味を惹かれるのであれば、「Go」です。出なければ、やめておけということです。興味がないものに対して、自分が「それ」をやる意味は何でしょうか?


将来にどうなるかなんてことを考えるのは、時間の無駄なのでやめた方がいいです。職業なんて生まれるものも消えるものも多いわけです。そしてこの淘汰と変革のスピードがコロナで劇的に早まってます。



みなさんがそれぞれのタイミングで、
「その時に」一番興味があるものに、
全力で向かって行けばいいと思うんですけどね。
自分の「声」をもっと聞けばいいと言うか。。



ちなみにやりたいなんて、時間をえることでいくらでも変わっていきます。変わらない「もの」や「こと」はこの世にはありませんし、私たちの細胞が入れ替わるように思考も時間をえて当然のごとく変わっていきます。変わるものは変わればいいし、それを予想するなんて無駄はやらなくていいと言うか。



あと意識の部分で重要なことを話しておきます。


私の職業は、クリエイティブディレクターやアートディレクターです。
ただ、私は別に「クリエイティブディレクターでも、アートディレクターでもありません。」


私は「私」です。


今の興味のあるものであるこの職業を通して、「私」を表現しているにすぎません。
この職業は、Aiがもっと優秀になり、人間のクリエイティブ思考を凌駕する数十年後に生き残っているでしょうか? わからないわけですが、なくなればまた「その時に興味のあるもの」に向かえばいいわけです。



「今」何をしたいのか


「今」何に夢中になれるのか



現代人は「頭」を使いすぎるじゃないかと思うんですよね。
他人の事を真剣に聞きすぎると言うか。
僕含めのことなのですが、自分のことはその潜在性の深さをみてもまだ見切れているとは言えませんが、少なくても他人より自分のことは自分が一番わかっているわけじゃないですか?
じゃあ、もっと自分の感覚、直感を信じてみればいい。
思考も行動も、もっとシンプルに
もっと本能的に、自由に何かを選んでみる。
そんなんでいいんじゃないかと思うんですけどね。





[新刊書籍のご紹介です]

私が手がけたロゴデザインが多数が紹介されています。
ロゴデザインとブランドの関係を説いたコラムも書かせていただきました。
↓↓↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?