見出し画像

デザインは、独学ではダメなのか?

クリエイティブデザイン学習において、独学で学ぶことについて語ってみたいと思います。クリエイティブ関連の学生の方やそれ以外の学生の方、教育関連に携わるお仕事の方に向けて書いてみます。

学習はいつだって楽しいものじゃないですか? 本来であれば。

何か目指すものがあり、それに向けて学習している人にとって、自分が望んでいるもの、学びたいものでないものを、半強制的に学ぶ必要がある場合、それ自体が「足かせ」となります。
その事例として、前回の記事で教育現場で多様性を無視したカリキュラムが組まれる場合、学生に与える悪影響を語りました。


私の小中高時代で学んだ今でも記憶していて役立っている学びは悲しいかな、小学生が学ぶ算数くらいなものなわけですが、皆さんはいかがでしょうか? 
今の小中高でさえ義務教育と言われるものの中に、人の個性を伸ばす学習と個性を伸ばさない学習があります。私たちは万能な知識を得る必要は別にないわけです。古い体制の教育方針下では必ず「やらせている」側と、「やらされている」側が存在してきます。別にリベラルアーツ学習が無駄だと言いたいわけではないのですが、仮に学生が専門的なものを学びたいと望む場合、その学習環境を存分に提供することが高額の教育費用への対価として教育機関の責務だと思うんです。「本人にとって」望まないものを学ばせない環境を、提供をすることです。理由は、時間は「有限だから」です。

こうした環境下に置かれて学生はどうあるべきなのか。
何を意識すると良いのか。
やや極論的ではありますが、結論から話していきます。




デザイン学習において、「独学」を超えるものはありません。


自分で、問いを出してみる。
自分で、考えてみる。
自分で、試行錯誤してみる。
自分で、壁にぶつかってみる。
自分で、正解を探ってみる。
自分で、成功体験を作り出してみる。
これの繰り返しです。


この一連のデザイン行為は、
人から正解を教えてもらう体験の何倍の価値があるのでしょうか?


情報過多と価値観のアップデートが著しい今の時代において、
誰かに何かを「教えてもらう」ことに大した価値なんてないんですよ。




おそらくデザイナーがもっと職人扱いされていた版下時代、まだクリエイティブ業界に師弟制度に近いものがあった時代、専門性の高い情報へのアクセルが限られていた時代は違いました。でも今はそんなことはない。では、なぜか。
学習しようと思えば、いくらでもできる教材は、ネットでも、書籍でも、SNSでも溢れかえっているわけです。SNSで言えば、世界中のプロのデザイナーのプレゼンテーションがタイムリーに見れます。デザイン学習は「模倣」が全てだと思うのですが、この模倣する材料が巷に溢れかえっているわけです。
ちなみにadobeのようなデザインアプリの操作などにしても別に本人が本で読むか、ネットで学習すればいい。学校が教育費をもらって教えることでは全くないわけです。


だから、まずは独学でやってみればいいんです。

線の引き方、
カッターの使い方、
デザインでアプリの使い方、
文字の置き方、
書体の選び方、
レイアウトの仕方、
全て自分で考えてやってみたらいい。

失敗してみたらいいんですよ。
自己流でいいんです。
そして、作ってみたものを他の人のものと比べてみる。
違いを見つける。
他者との比較により、違いから学んでいけばいい。


クリエイティブは別に数学じゃないんですよ。
絶対的正解がなく、
一つの問い対してデザインは様々な解答方法があります。



教える側が学生にしてあげられることとしたら、
学生の作ったものを客観的に機能するものなのかどうか、それを社会での経験から語って上げるくらいのものなのかと思います。では、



「デザイン教育とは何でしょうか?」


かつては「知識」を教えることだったのかもしれません。

ただ、この知識はもう手元にある電話で本人が調べられるわけです。知識に価値なんて、かつてほどないわけです。

私がこの2年間、教える立場で感じたこととして、生徒はそれぞれに個性があり、それぞれに考え方やデザインアプローチが様々にあるということでした。そして、そこでのゴールはみんなが「同じ解答」を出せるようになることではありませんでした。その現場で学んだことは以下のことです。



「彼ら彼女らの行きたい方向に、背中を押して上げる。」



極論ですが、これだけでいいんだなって。
若い芽は水も太陽も足りていても、伸びる方向性が見出せないものが多いわけですが、それを見つける作業を一緒にしてあげるだけでいい。



人は伸びたい方向が見えたら、勝手に伸びていきます。
勝手に一人で学び始めます。
なぜかというと「学びや習得は喜び」だからです。



教育とは、この学生の成長を邪魔をすることでは決してあってはいけないわけです。教壇に立って生徒の興味のない知識を説く意味はありません。







最後に。
教育という現場に少しでも携われたことは貴重な体験でした。
そこを通じてたくさんの生徒と知り合いました。
学生からたくさんのエネルギーをもらえました。
本当に素晴らしい経験だったと思います。

そういうことで、わたしは今期限りで、担当していた常葉大学造形学部の非常勤講師の仕事を降りることにしました。


この記事が参加している募集

noteのつづけ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?