海老うぉんばっと

30歳になるまでに綴りたいことを綴ってみようと思ったnote

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最近の記事

大人になるほど夜が苦しい

自分の過去を思い出して振り返って苦しくなり、文字が打てなくなる。どうしても忌々しい過去に打ち勝てない自分がとてつもなく情けなくなる。 幸せなことを思い出してみるには辛いことが多すぎて苦しいことばかりしか記憶にない。 楽しいことより泣いたことのほうが覚えている。 些細なことに幸せを感じるようになれば心が救われると、何かで読んで試してみたことがある。それはあまりにも簡単で満たされないほどの小さな幸せしか感じることのできない自分の底知れない欲深さを感じる地獄のような行為だった。

    • 心が重くなったよnote 3

      noteに文字を残すことに少しの躊躇いと心に来るしんどさがピークに達し日にちを置いたけど、このままいると一生文字を残すことをしなくなりそうなので無理やりにでも指を動かそうと思う。 そんななか、今年買って一番良かった物を唐突に紹介。 おすすめの1品! それがパジャマである。 睡眠について悩みが耐えない日本の社会。 ポケモンの睡眠アプリが流行るくらい日本の睡眠不足は深刻だろう。 私も睡眠についての悩みが耐えない。 眠るのに時間がかかる、布団に入ってもなかな

      • 心が重くなったよnote 2

        睡眠の話しをしようと思う。 夜、布団に入っても眠れないことが多かった。 夢見が悪いことなんてよくあって、時間としてたくさん寝ても眠った気がしなくてお昼に眠くなる日々。 寝れば疲れは取れるなんて10代限定だろう。 世の中には冷え症だとか上手く眠るポジションが取れないとか考え事をしてしまうとか、眠るときの悩みは人それぞれあるようで私も悩みはたくさん。 私は眠るときにたくさん考え事をしてしまったり、布団に入ってから何時間も眠れないことが悩みである。特に考え事を

        • 心が重くなったよnote

          自分の人生の幼少期を振り返っていくと、だんだんと心が重く苦しくなる。自分の人生なのに、だ。 幼少期を振り返っているだけなのに心に負担が大きいようで、これも虐待の後遺症だろう。 虐待される日々を振り返ると、再度虐待に合っている気持ちになってしまう。 もうここに父はいないのに、今ここでまた父が拳を振り上げ刃物を持っていて追いかけてくるような気分になる。とても疲れる。 noteに綴ることで少しでも自分をどうにかしたくて画面に向き合って自分を見ているのに、振り返るほど気

        大人になるほど夜が苦しい

          ハガキは丸見えの回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~

          ハガキは丸見え 50を越えたおっさんになった息子が可愛くてたまらない意地悪な祖母、祖母に何も言えずへらへらしている父親。 学校から帰ってきたときに祖母と父が楽し気に話していると本当に鬱陶しかった。 祖母が帰ってきた私に嫌な顔をしたり睨み付けてくることが鬱陶しかったし、全く気づきもしない父が鬱陶しかった。 父は祖母が来訪すると遊びに行くことを許してくれなかった。 部屋で宿題をすることも許してもらえなかった。 祖母と父が話すことを横にいて聞かされる。 地獄だっ

          ハガキは丸見えの回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~

          卑怯を倒す卑怯の回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~

          卑怯を倒す卑怯 引っ越してからの生活は一変した。 父と母の喧嘩、DVは変わらず、父からの暴力の頻度も変わらずにあった。 私はこのあたりからよく覚えている。というのも、8歳くらいからなら私自身も身の回りで色々起きてくるからだ。 小学校に行くのに10分と短縮された片道は近すぎて嫌になるほど近かった。 長男は6年生、次男は4年生。 この頃から2人はスポーツに熱中し、友人関係も大きく変わり出していた。 そして、私も空手に出逢う。 これは身を守るために習おうと思

          卑怯を倒す卑怯の回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~

          祖母という壺の回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~

          祖母という壺 新しい家は4LDKだったと思う。 前の家は2階建てで3LDKに祖母付き。 あの意地悪な祖母が引っ越し先に来ないことが嬉しくてたまらなかったが、結局父がいるのでどっちを優良物件かは選べないが祖母がいないことは良であった。 祖母がいる2階に上がって滞在できるのは長男だけだったが、いつだったか私は何か頼まれ事があったのか呼ばれたかで2階に上がったことがある。 長くて狭くてツルツルした階段は滑りやすくて危なかったこともあり、私は気を付けるように

          祖母という壺の回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~

          間取りや屋根の色が変わろうともの回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~

          間取りや屋根の色が変わろうとも 私はこの年になってもまだ母親に希望や理想を抱いている。 私はいつまでも、あの人の子どもなのだと思う。 いつか愛してもらえる、優しくしてもらえる、そう考えて期待して裏切られる。 次男はどうしてそんなに母に愛されるのか、私にはわからない。 確かに特別可愛い容姿で産まれ祖母に疎まれて育ち長男との格差がある分母が愛情を注ぐのもわかるが、その祖母との暮らしは私が8歳のときに終わりを迎える。 私たちに引っ越しという大イベントが

          間取りや屋根の色が変わろうともの回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~

          結婚、出産をしない理由 #1

          結婚、出産をしない理由 私は結婚に夢を見ていないし憧れもない。 もうかれこれ数年パートナーもいない。 同年代の友人たちが結婚をし子供を産み母親として別のステージに上がった今だからこそ身近に感じる『結婚』と『出産・子供』というワードは、私には重くて到底抱えきれない。 そんな私を『別世界の人間』のように友人たちは扱うが、これはなにも悪いことではない。 彼女たちにとっての普通や当たり前が私にとって違うだけのことなのだ。 結婚をしない、子供を産まない、こういう選択をす

          結婚、出産をしない理由 #1

          イイコはトウゼン営業マンの回 ~30歳になるまでに解きたい呪い

          イイコはトウゼン営業マン 母は街の誰よりも、地域の誰よりも、いやもう世界中の誰よりも『体裁』というものが大事な人だった。 私は四兄弟だが姉とは年の差があったので小学校に一緒に通ってたのは兄2人。 なので、知り合いというか私を知る大人が同級生たちの倍は存在していた。 兄たちの同級生の親が「娘さんこんなことしてたよ」と母に報告したりする日々、私のプライバシーなど無いような環境だった。 それが田舎特有かもしれないが、監視社会に放り込まれた私は誰の目があるかわからない恐ろ

          イイコはトウゼン営業マンの回 ~30歳になるまでに解きたい呪い

          圧倒的被害者、母の回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~

          圧倒的被害者、母 父は暴力をふるう人、母は暴力をうける人。 これだけなら母は圧倒的被害者だろう。 ところがどっこい、そうは問屋が卸さない。 母は確かに父からのDVに関しては被害者であったけど、それと同時に加害者でもあった。 それは私に対する《心理的虐待》だ。 母が父に殴られたのを見てから増えた八つ当たり。母は私を怒ることでストレスを発散していたのかもしれないし、私が嫌いだったのかもしれない。 これがどっちでも今の私にはどっちでもいい。 母は祖母に嫌

          圧倒的被害者、母の回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~

          特別な長男と口喧嘩の回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~

          特別は長男と口喧嘩 私が小学生になると長男がちょっと早い反抗期を迎えた。 小学生になる前まで兄たちを名前で呼んでいた。 ある日急に父に「偉そうに呼び捨てで呼ぶな!」と怒られたときは、昨日までは良くてなぜ今晩はダメなのかがわからなくて結構泣いたがあれが理不尽なのだと思う。 私はこの頃から父にとって長男が特別なことを薄々感じていた。 長男は体が弱くて10歳になるまでは激しい運動どころかほんの少しの運動さえ気をつけるように言われていた。なので、私の遊び相手は基本的に

          特別な長男と口喧嘩の回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~

          息子男化現象の回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~

          息子男化現象 親とはなんだろうか。 夫婦が子供を産んでから得る称号、肩書きなのだろうか。 夫婦のことはわからないし自分の母と父のあの夫婦の形はとことんわからない。 でもあの人たちは私たちの親であり、誰かの子供でもある。 私たちは父の母にあたる祖母の家に住まわせてもらい、祖母と父と母と私たち兄弟4人で2階建ての結構大きな家で衣食住がまかなわれていた。 しかし、2階建ての2階部分は侵入禁止であった。 といってもこれは限定的なもので、父と長男は上がることを許

          息子男化現象の回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~

          赤いランドセルと顔の色の回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~

          赤いランドセルと顔の色 衝撃のお芋事件の後、母はイライラしている姿を隠さなくなったと思うし八つ当たりも増えた。 父は一際優しくなったようにも見え、私は父の機嫌を感じ取ることを覚えた気がする。 父の暴力はそれほど衝撃だった。 私の知らないところでその暴力は日頃からあったのかもしれない。私が偶然見たお芋掘りの日は私にとっての母へのDV1日目だっただけで、母や姉や兄たちにとっては違うのかもしれないけどそれをその時は聞けなかった。 ただ私も5歳なので翌日にはケロッとし

          赤いランドセルと顔の色の回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~

          サツマイモ色の食器棚の回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~

          サツマイモ色の食器棚 サツマイモを掘って帰ってきて、夕飯はたくさんサツマイモを食べた。たらふく食べた。 その日がまだ短い5歳の人生で一番幸せだった。 夕飯を食べ終わるといつも決まって和室に移動して兄弟とテレビを見たり遊んでもらったり、たまに喧嘩をするのが私の日常だったと思う。 キッチン、リビング、ダイニングが繋がったあの場所は食事を摂る以外で入ることなど無かった。 なのにあの日は食べ終わってからしばらくして、母にお芋掘りの話をしたくなってリビングに戻ってしまった

          サツマイモ色の食器棚の回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~

          人生の転機はお芋掘りの回 ~30歳になるまでに解きたい呪い ~

          人生の転機はお芋掘り 産まれてから今日までで一番古い記憶は3歳か4歳のときに保育所に入園して自己紹介をしたときの記憶がもっとも古い。 保育所は嫌いだった。ずっと意地悪を言ってくる男の子がいて本当にそいつが嫌だった。しかもそいつは小学生になっても私をいじめてくるから本当に今でも本名も顔も覚えているくらい嫌いだ。 でも、いつも一つ年上の兄が私を見つけては声をかけてくれて一緒にいてくれたり遊んでくれていたから保育所で過ごす時間の全てが嫌だったわけではない。 たくさん嫌な

          人生の転機はお芋掘りの回 ~30歳になるまでに解きたい呪い ~