卑怯を倒す卑怯の回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~


卑怯を倒す卑怯


 引っ越してからの生活は一変した。
 父と母の喧嘩、DVは変わらず、父からの暴力の頻度も変わらずにあった。

 私はこのあたりからよく覚えている。というのも、8歳くらいからなら私自身も身の回りで色々起きてくるからだ。
 小学校に行くのに10分と短縮された片道は近すぎて嫌になるほど近かった。

 長男は6年生、次男は4年生。
 この頃から2人はスポーツに熱中し、友人関係も大きく変わり出していた。
 そして、私も空手に出逢う。

 これは身を守るために習おうと思ったわけじゃなく、いつか父親に刺される時に助かる方法があるのではないかという身も守るよりも、ただ刺されるくらいなら一矢報いたい!という微かな復讐心があったからだ。

 でもこんな気持ちは正直には誰にも言えないので、近所でやっていることと幼馴染みが習っていたこともあって母にそういうのを見てみたいと言えばあっさり了承を貰えた。


 そして、ここで運命の出会いをする。
 それが初恋である。

 長男の同級生にもうそれはそれは、とても優しくて優しくて優しいお兄さんがいた。
 長男と比べてしまっていたかもしれないが、私はもうこの人に会うために空手を習いに行くようなそういうレベルだった。

 長男も同じように空手を習い、友人が多かったこともありバスケやサッカーを始める。
 次男は空手を習わなかったが野球を始めた。
 引っ越した先で近所の同級生が野球をしていて、次男を誘ってくれたのだ。
 この人も優しくて兄と一緒によく遊んでくれた。


 私たちはそれぞれがそれぞれに好きなことを始め、まさに充実していた。

 母は体裁大事ウーマンだったので、私たちの習い事にとても熱心だった。といっても、私を除いた兄たちのだ。
 私はすぐに飽きて辞めると思われていたし、女の子がそんなことと最初は言われていた。

 だから私は最初は体験でってことで1ヶ月ほどは体験という形で借り物の胴着を着ていた。
 3ヶ月もすれば母も前向きに応援してくれたが、長男より上達していく私にあまりいい顔はしなかった。

 次男の野球は凄かった。
 同級生のお父さんたちが監督やコーチをしていたので、母もよく顔を出してママ友の輪を広げに向かっていた。
 それに着いていく私は何も楽しくなかったが、母のためのイイコを演じて全母親の名前を覚えたし、続々と監視の目を増やしていった。

 
 私は運動神経というものがほぼ無くて、次男のずば抜けた運動神経の良さはたまらなくかっこよく見えた。
 ちなみに長男もどんくさいタイプで同じようにスポーツをしていても、どうもおかしいみたいな動きをしていた。

 そうやって友人関係や生活環境が目まぐるしく変わっていくなか、我が家には新たな武器がいくつか加わってその中でも不愉快な物があった。

 それが、次男の金属バット。


 父は刃物を持って脅すことを攻撃としていたが、ついに次男の習い事の道具まで武器にする。

 許せなかった。
 次男の大事な道具を武器にするゲスさが不愉快だった。


 空手を習ったところで、何かしら武器を持って追いかけ回してくる父を止める術は習えなくて本当に何のために習ってるんだといつも後悔した。

 一気に強くなって筋肉がムキムキになって体がバキバキに大きくなって、金属バットにも刃物にも怯まない自分になる方法が欲しかった。


 父は武器を持って脅すことで自分の強さを表現していたのだと思う。あれは最早、パフォーマンスである種のサーカスだった。

 百獣の王という威厳溢れ人間などに靡かないと言わんばかりの異名持ちのライオンですら、人に調教され火の輪を潜って私たちを楽しませてくれる。
 

 父も威厳を保つための暴力でありそのための武器だったのかもしれない。サーカスに興じることで自分の存在をアピールしていたのかもしれない。しかし、父にはライオンほどの威厳は無くどちらかと言えば幕間のピエロのような滑稽な生き物だった。
 それは楽しませるような姿ではなく恐怖の対象だったけど、本当に滑稽だった。
 私はいつも姉が殴られたり母が殴られる時蚊帳の外でそういったものの観客席にいるかのような気分になるほどだった。

 止めることも出来ないせいもあるが、自分に飛んでこない拳や向けられない刃物に少し安堵して気持ちに余裕があったのかもしれない。
 サーカスのステージから観客席にライオンやゾウが向かってこないよう訓練されているように、父もどこかで訓練を受けていたのかもしれない。

 いつも母や姉が逃げ回る時、私はここにいるのにいないような感覚に陥っていた。それを観ている私自身の意識は他人事のようにその場を客観視していて記憶の中でも目線が私の目線ではなく、ドローン撮影のような上空からの目線だったりする。
 理由はわからないけどなぜか客観視していて、でも目線が追っているのは隙だらけがら空きの父の背中だった。

 姉を暴力から守ることも出来ないが、私は自然と父の背中を狙うようになっていた。

 あの滑稽で隙だらけの背中に飛び蹴りの一つでもかましていれば、何か変わったのだろうか。
 その勇気が私にはこの頃まだ無かった。

 いや、勇気が無かったわけじゃない。

 人の背後を狙うことは卑怯と空手を通して私の精神に刷り込まれていたのだ。

 遥かに幼い存在に武器を振り回す一番卑怯なピエロが目の前にいて姉や次男を常に狙っているのに、私は同じように卑怯なやり口で倒すことはしたくなかった。

  私はいつのまにかこの滑稽なピエロを倒す絶好の機会を知らず知らずのうちに探るようになっていた。



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