赤いランドセルと顔の色の回 ~30歳になるまでに解きたい呪い~


赤いランドセルと顔の色


 衝撃のお芋事件の後、母はイライラしている姿を隠さなくなったと思うし八つ当たりも増えた。
 父は一際優しくなったようにも見え、私は父の機嫌を感じ取ることを覚えた気がする。

 父の暴力はそれほど衝撃だった。

 私の知らないところでその暴力は日頃からあったのかもしれない。私が偶然見たお芋掘りの日は私にとっての母へのDV1日目だっただけで、母や姉や兄たちにとっては違うのかもしれないけどそれをその時は聞けなかった。
 ただ私も5歳なので翌日にはケロッとしていたかもしれないし、このあたりの記憶は子供なだけに毎日が新鮮すぎて365日を覚えているわけじゃないからこのあとどうしたかは思い出せない。

 ただ間違いなく、お芋掘りの日が私にとって暴力1日目であった。
 

 そんなお芋掘りを経て季節は冬を迎え、私は春には小学生になるとワクワクしていた。

 女の子は赤、男の子は黒。
 昔からの固定色に違和感はなかったが、兄たちが黒いランドセルだったので同じ物が欲しかった気持ちが少しだけあった。でもランドセルは意見を聞かれることなく問答無用で赤だったし、それを嫌だとは思ってなかった。

 その年のクリスマスプレゼントは、筆記用具のセットと絵本だった。
 赤い絵本、赤い縁取りのファイルの中には赤い鉛筆に消しゴム、赤いハサミなど文具が入っていた。
 ちなみに私は赤色が好きだとかそういうことはない。
 そして、この絵本は何度も読んだ。指がスパッと切れる上質な紙で指を何度も切ったのをよく覚えてる。
  でも、このクリスマスプレゼントは泣いたー。
 他に欲しいものがあっただけに泣いた。何が欲しかったかもう覚えていないけど。


 誕生日がクリスマスに近いこともあって、ケーキもクリスマスが一緒だったし誕生日プレゼントとクリスマスが一緒だったりすることもあり、なんとも言えないプレゼントばかりだった。

 いつだったかボタンを押せば音が鳴るバイオリンの形をした玩具を貰ったときは、本当に意味がわからなかった。
 私はバイオリンに興味も無ければバイオリンを知りもしないし、ミュージシャンに憧れたわけでも好きなオーケストラがあったわけでもない。日曜日の題名のない音楽会くらいでしか上質な音楽らしい音楽に触れてきていないのに、なぜこれだったのか。
 そのバイオリンの形をした玩具を私に与えた父は、本当にセンスが無かった。基本的にプレゼントのセンスがとてつもなく無い人だった けど。

 ただ、これを「いらない」と言うわけにも不服そうにすることもダメだと脳がわかっていた。
 いつ父の拳や右からビンタが飛んでくるかわからないからだ。

 だから赤いランドセルに何も言えなかった。
 クリスマスから春、その先も永遠に続きそうな赤色づくしに少しうんざりしていても言えなかった。
 赤色は好きじゃない、と言えなかった。

 父が怖かったのだ。
 好きな色も言えないくらい、怖かった。

 父に与えられる物は喜んだふりをして受け取らなければ死んでしまうとその頃は思っていたのだ。
 その当時はまだ悪いことをして怒られ叩かれる以外で殴られたことは無かったから、父の機嫌が変わればいつどうなるかわからなくて怖かった。
 母のように殴られるのではないか、姉のように殴られるのではないか、恐怖は少しずつ私を蝕んでいたと今ならわかる。

 じゃあ何色が好きだったの?と聞かれたら、わからない!としか言えないが、父の顔の色は穏やかな色のほうが好きになれた。



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