大人になるほど夜が苦しい


自分の過去を思い出して振り返って苦しくなり、文字が打てなくなる。どうしても忌々しい過去に打ち勝てない自分がとてつもなく情けなくなる。

幸せなことを思い出してみるには辛いことが多すぎて苦しいことばかりしか記憶にない。
楽しいことより泣いたことのほうが覚えている。

些細なことに幸せを感じるようになれば心が救われると、何かで読んで試してみたことがある。それはあまりにも簡単で満たされないほどの小さな幸せしか感じることのできない自分の底知れない欲深さを感じる地獄のような行為だった。
小さな幸せを探せる人は素敵で素晴らしい、とそのあと何かで読んで打ちのめされた。
小さな幸せを探すことが地獄のような自分があまりにも愚かに感じた。

どうしてあの人は夕飯が大好物というだけで幸せだと言えるんだ。
どうしてあの人は今日は晴れたということに幸せと言えるんだ。
どうして、が募っていく。

私はどうして人と同じようなことで幸せだと感じられないのか。
夕飯に大好物が出ることもない、晴れだ雨だと天気を気にする余裕もない。
それには気づきたくなくて、どうして?を増やしてしまう。

解決できないどうしてに答えを見つけようとするのはいつのまにか止めていて、諦めながら日々を過ごすことで目を逸らした分心は幾分か楽である。

恐ろしいもので30歳は着々と近づいているのに、いつまでも幼い自分と決別できない。


空が暗くなり夜になるように、心にも時計があるのか夜がやってくる。
どうしても夜が来ると、嫌なことばかり思い出して辛くなってしまう。どうして夜に円舞曲が踊れるような気持ちにはさせてくれないのだろうか。
朝に円舞曲が踊れるほどの陽気さはないが、月夜にスキップできるような軽さが心に欲しいのだ。
大人になるにつれて少しだけ過去の嫌なことが薄れて、思い出す時間も減れば、心は自然と軽くなり朝も迎えられると信じていた。
なぜ、大人になればなるほど嫌な思い出が色濃く鮮明に私を襲うのだろうか。どうしてこの苦しみは私から出ていってくれないのだろうか。
時間の経過が救いになるなんてとんだ綺麗事で、痛みに時間の経過など関係ないのだ。


30歳になるとき、私は少し幸せになれるのだろうか。

毒親との生活や記憶から解放されるのだろうか。

父親からの暴力や母親からの暴言に苦しんだ日々を消化できるのだろうか。


答えのないどうしてに今日も目を逸らして諦めながら眠りにつく毎日はいつ終わるのだろう。


夜に円舞曲を奏でられる心に、いつなれるのだろうか。



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