イイコはトウゼン営業マンの回 ~30歳になるまでに解きたい呪い


イイコはトウゼン営業マン


 母は街の誰よりも、地域の誰よりも、いやもう世界中の誰よりも『体裁』というものが大事な人だった。
 私は四兄弟だが姉とは年の差があったので小学校に一緒に通ってたのは兄2人。
 なので、知り合いというか私を知る大人が同級生たちの倍は存在していた。
 兄たちの同級生の親が「娘さんこんなことしてたよ」と母に報告したりする日々、私のプライバシーなど無いような環境だった。
 それが田舎特有かもしれないが、監視社会に放り込まれた私は誰の目があるかわからない恐ろしさを常に抱いていた。何をするにしても誰かに見られている、と考えてしまうことばかりだった。
 ちなみに、田舎といっても田園風景や過疎地域とかそういう田舎ではない。一駅乗ればどうにでもなったし駅回り以外はまだまだ整備が必要な道や場所が多かっただけの田舎だ。

 そんな田舎、監視社会では小学生の私は何も出来ないのだ。


 友だちと同じように滑り台を反対から駆け上がったり、ブランコを立ち漕ぎしてジャンプするだとか靴をそこから脱ぎ飛ばして明日の天気を予想したり、そんなことは出来なかった。

 ある日、友人がブランコで立ち漕ぎをして靴を飛ばしたらベンチの屋根に乗ってしまったことがある。
 同じ公園で遊んでいた同級生が集まり、どうやってあの靴を取るか頭を悩ませていた。
 今でも覚えているのは屋根に寂しく乗る靴を落とすために「もう1つ靴を投げて屋根の傾斜を利用して靴を落とそう!」という絶対無理やろという案をその場にいる全員が納得して名案だと盛り上がったことだ。
 それを試すため肩を回して何度も投げたが、まず屋根に乗らない。通りすぎる大人は子供が不思議な遊びをしていると思っているだけのようだったが、私たちには一大事だった。
 なぜなら、靴が屋根の上にあるのだ。2つで1つの靴の片方が屋根にある。
 このままでは帰れない、親に怒られる、助けてあげたい、と様々な心情が入り交じっていた。
 
 そして、ついに私たちはやってしまう。

 ブランコに立ち漕ぎ。
 同じように空に向かって靴を蹴りあげる。


 屋根に別の色の靴が乗っかってしまった……


 絶望だった。
 取らなければならない靴は2つになり、片足飛びで歩く友人は2人。
 もう、終わりだ。と誰もが項垂れた。
 もうここに救いはなく、落ちている細く力のない木を持って屋根に向かって手を伸ばすが届きそうにない。

 
「屋根、登ってみるか」

 その場にいた一番背の高い同級生が身軽そうな子を肩車した。
 危ないからやめて、と始まりの片足飛びの友人。
 もう一人の片足飛びまで屋根に登ろうと肩車を求める。
 子供の身軽さは恐ろしく屋根に手が届くと、そのまま屋根に登ったのだ。
 どうにかこうにか戻ってきた友人たちの靴。
 それは私たちにとってとても感動的な出来事となったのだ。


  しかし、だ。
  やはりどこかの誰かが見ている。

  母が仕事から帰ってくると、
  「あんた今日、公園で悪さしてたって?」

 どこが悪さやねん。友だちの靴が屋根の上に乗ってんで?行方を見てから帰らなあかんでしょ。
 とは言えず、経緯を説明したが母は聞く耳持たずで。

 「そういう変なことする子とは遊ばないで」
 「人が見てるんやから」


 誰がどう見て何を感じたかより我が子から聞く事情を理解してまず飲み込むのが、本来あるべき母親というものではないのか?なぜ母親が、我が子による説明よりその場を通りがかって一瞬のシーンの切り取りしか見ていない他人の言葉を信じているのか。
 母はいつもそうで、私の説明や言葉をまともに聞いて信じてくれない。
 必ず私の言葉には否定から入り、周りのママ友たちの言葉を信じて怒るばかりだった。
 
 母にとっては子どもに巻き起こった事実はどうでもよく、他者から悪評が立つという事実が何より許せないのだ。

 私の目で見た事実より他人が見た私の事実が自分の体裁に関わらなければ何も言わない人だった。


 私はそうして放課後遊ぶ公園ですら誰かの目を気にして、母の体裁を保つことを最優先事項にするようになる。

 まず、母が話す大人たちの顔を一度見ただけで覚えるようになった。
 一度見ただけで覚えることは大変だった。母がその人と話す間、顔の特徴を必死に言語化して顔の骨格にその言語化した情報を貼り付けるみたいな作業を脳内でしていた。
 母が長く話せば話すほどその作業時間が延びるので、子どもの柔らかい脳みそは一度で覚えた。
 しかし、挨拶程度の人だとこれが難しくて母に必死に聞いた。
 誰のお母さんなのか、どういった関係なのか、と聞いてそれを覚えるようにした。

 私はそうやって母のためのテイサイのイイコになるように頑張った。

 
 今ほど共働きの家庭が多くなくて働いている母が珍しかったくらいで、放課後はやっぱりそこら中に誰かの母親が買い物に出掛けていたりしていた。

 なので、はち合わせれば必ず挨拶をした。
 元気に笑顔で会釈もつけて。
 友だちが一緒にいようとも挨拶をした。

 わりと人見知りもしない性格だったし子どもらしい誰にでも話し掛けられるような社交性は高かったので、挨拶は苦ではなかった。

 そして、それをしていれば誰かが報告して母が私を褒めてくれると思ったのだ。

 やっぱり同級生のお母さんたちは褒めてくれた。
 とても良い子、私の子もこうなればいいのに、本当にしっかりしているね、と評判はうなぎのぼりだった。


 でも、母は褒めてくれなかった。


 褒めてほしくて母に言ってしまった。

 「○○さんのお母さんに会ったよ!挨拶した!褒めて!」

 褒めてほしいなんて可愛らしい子どもの当たり前の感情ではないか。
 それを聞けば素直に褒めるのが母親ではないのか?
 ましてや私はまだ7歳の子どもだ。



 「は?挨拶なんてして当然やろ、アホちゃう」


 挨拶が当たり前のことだとしても、私は本当に母親のママ友に挨拶をすることを当然としてやるべきことだったのだろうか?
 別にこれは当たり前ではないのではない。なぜなら、私が挨拶をする母親のママ友は私の同級生のお母さんたちではないのだ。
 私はその人の子供を知らないし関わることもないのに挨拶をして愛想を振り撒いているのだ。なんとも馬鹿らしい。


 誰かの母親が「とてもよくできた娘さんね、羨ましい」と褒めると『自分の育て方が褒められた』と変換して喜び、見たことも会ったこともない人が「娘さん、挨拶もしなかったんだけど」と言うとそれはもう憤怒した。無視をするとは何事だ、と怒られた。

 誰やねんそのオバハン、知らんぞ。
 そう素直に言っていたら何か変わったのだろうか。


 何せ母にとって私という存在は母の体裁さえ傷つけなければ何をしても問題はなくて、なおかつ母が褒められるように行動していれば良かったのだ。

 母の評価を上げるために挨拶をしていた私は営業マンさながらで、今その行動を思い返すとあまりにも滑稽で鼻の奥が痛くなって涙で視界が歪んでしまう。




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