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忘れられた巨人

著者 カズオ・イシグロ
訳 土屋 政雄
出版 早川書房 (2017年発行 2017年第6刷)

カズオイシグロにどっぷりハマってしまっています。

この本は彼の著作の中でも日の名残りと甲乙つけ難いくらいに好きになった作品でした。

アーサー王が亡くなってすぐの鬼、妖精や竜も出てくるファンタジーを装った不変の愛と赦しを説いているように思えます。

物語の中でのブリトン人とサクソン人が争ったり、彼らの中での差別や、昨日まで仲の良かった隣人が豹変する姿。そして、強制された平和維持とそこに至るまでの思い出したくない歴史の記憶など。

これは、前回の記事で紹介したルワンダジェノサイドや旧ユーゴ紛争など、現代でも断ち切れない民族間で起こっている負の連鎖を彷彿させます。

社会問題や歴史上の問題から個人の心の移り変わりなどマクロからミクロまですべてが詰め込まれていました。

以下、かなり重要なネタバレも含みます。
以下、かなり重要なネタバレも含みます。
以下、かなり重要なネタバレも含みます。

あらすじ

舞台はアーサー王が亡くなった後すぐのイギリス。
主人公アクセルとベアトリスのブリトン人の老夫婦。村人も主人公夫婦も記憶を要所要所で無くしているようにみえた。ブリトン人だからなのか、蝋燭すら分けてもらえず、意を決して二人は長年暮らした村を出る。遠くに住む息子に会うため、旅に出たのだった。
旅の途中で戦士や騎士らとの出会いの中で、二人は旅を続ける。
共同体での、そして個人としての記憶の忘却、復讐と愛などがテーマに流れるカズオ・イシグロによるファンタジー風長編作品。

おもな登場人物

アクセル ブリトン人
ベアトリス ブリトン人
ウィスタン サクソン人の戦士
エドウィン サクソン人 ウィスタンに救われる直前に傷を負い村をおわれることになった少年
ガウェイン ブリトン人 亡きアーサー王の忠実なる円卓の騎士の一人
船頭 アクセルとベアトリスが出会った島に渡るための舟渡
クエリグ 雌竜 マーリンの魔術によってクエリグの吐く息が霧となり、その霧は、民族関係なく、人々の記憶を忘却させる。
修道院の神父たち ブリトン人 穏健派と強硬派に分かれているようだ

テーマ

共同体そして個人の記憶の忘却
人種、民族差別
戦争、紛争
宗教
人間の愛と憎しみと赦し

これらのテーマのうち、The Guardianでのインタビュー(2015年2月)にて著者は共同体での記憶について語っています。

「イギリスやフランス、日本のような国が記憶する主なメカニズムは何ですか? それは文学によるものなのか、美術館によるものなのか、公式の歴史書によるものなのか? それは何ですか?それらすべてが混ざり合ったものですが、最終的には、一般の人々が自分の国で何が起こったのかについて実際に頭の中で何を持っているかにかかっています」と彼は主張します. 世界の他の国々と同様に、彼はユーゴスラビアが崩壊し、ジェノサイドがルワンダで少なくとも80万人の命を奪うのを見てきた。明らかな恐怖だけでなく、「ベルリンの壁が崩壊し、私たちが歴史の終わりにいるはずだった後、私たちは物事が平和になるという考えを持っていたので、深い失望を経験しました」. すると突然、「強制収容所、死の収容所、ヨーロッパの真ん中で、スレブレニツァのような大虐殺。そのとき驚くべきことは、振り返ってみればそれほど驚くべきことではなかったと思いますが、何十年も一緒に暮らしてきた隣人たちが、お互いに意地悪をして虐殺したという事実でした. それらの村では、民兵が通り抜けてそれらの家の人々を殺すことができるように、前夜に特定の家に十字架の印が付けられていたことはよく知られています。そして、これらはお互いの家で食事をし、お互いの子供たちの世話をしていた人々でした。」
The Guardianでのインタビュー

個人、共同体や国家としての記憶と忘却

忘れられた巨人の時代設定でもあるアーサー王の物語ではサクソン人によるブリテン島への侵略とそれに対抗したブリテン人、アーサー王の登場と円卓の騎士らの内部分裂とその後の十字軍遠征を匂わせることが描かれています。

そして、そのアーサー王が亡くなって間もない時代設定である本書でも、ブリテン人とサクソン人の戦いや差別が「忘れられた巨人」でも描かれています。

こうした歴史上の侵略からの民族紛争は2000年以上前から現代に至るまで、様々な国でいまだに続いています。

第二次世界大戦中のユダヤ人に対するホロコースト、旧ソ連崩壊から始まったバルカン半島の民族紛争や最近では日本の隣国におけるウイグル民族に対するジェノサイド。

これらの歴史が語る事実は、当事者や関係者のみならず、誰もが真実を記憶として残しておくべきであると思います。

その反面、国家はこうした都合の悪い真実を隠蔽し、まさに、アクセルの言う通り、霧で覆ってしまおうとすることがあるのも事実です。

第二次世界大戦中の日本の731部隊の真相はきちんとありのままに、日本人は学校教育で歴史として学べていますか?

霧で覆ってしまう事で、痛みを赦し合えるのでしょうか?

また、カズオイシグロのガーディアンでのインタビュー記事(前述)を読まなかったら、ルワンダジェノサイドのことを深く知らないままでした。旧ユーゴの紛争やサラエボのことは以前から興味深く、映画やルポを観たり読んだりしていました。けれど、同時期にあった、アフリカの永遠の春のような貧しくとも美しい小さな国で起きたジェノサイドのことはほぼ知りませんでした。

ルワンダで起きた事

少々、カズオイシグロとは離れますが、深く考えさせられたルワンダの方の手記を紹介させてください。

僕は1994年生まれです。その年、遠いアフリカの貧しい国ルワンダでは、たった3カ月間で少なくとも80万人の方々がジェノサイドにより命を落としました。

ルワンダは、三つの民族から成り立つ国で、かつて、ドイツの植民地でしたがその後ベルギーの植民地となり、こうした植民地時代にツチ族とフツ族の民族間で憎しみが生まれ、増大していったようです。

ルワンダジェノサイドのことを知りたくなり、ジェノサイドを生き延びた1人の女性の手記を読みました。

「私たちは、ルワンダが三つの部族から成り立っていることも知りませんでした。  多数派のフツ、少数派のツチ、ごく少数の、森に住むピグミー族に似たツワ。  ドイツの植民地になった時、また、ベルギーがその後を継いだ時、彼らがルワンダの社会構造をすっかり変えてしまったということも知りませんでした。  それまで、ツチの王が統治していたルワンダは、何世紀ものあいだ平和に仲良く暮らしていたのですが、人種を基礎とした差別的な階級制度に変えられてしまったのです。」
—『生かされて。 (PHP文庫)』イマキュレー・イリバギザ, スティーヴ・アーウィン著

ヨーロッパに翻弄されたルワンダの悲劇とも言えるかも知れません。

「ベルギー人たちが人種証明カードを取り入れたために、二つの部族を差別するのがより簡単になり、フツとツチのあいだの溝はいっそう深くなっていきました。これが、フツの人たちのあいだに絶え間ない恨みとして積み重なり、大虐殺の基盤になったのです。」
—『生かされて。 (PHP文庫)』イマキュレー・イリバギザ, スティーヴ・アーウィン著

植民地とする侵略による悲劇の始まりは、一見すると平和と均衡を保っているようにも見えます。

しかし、ベルギーが撤退したことにより、今度は民族間の憎悪が爆発しました。

「私は、無知だからといって、それがすべて彼のせいだとは言えないことも知っています。ツチに対する見解は、学校で教えられたのですから。それも私が通っていた学校で。  フツは、子どもの時から、ツチを絶対に信じてはいけない、彼らはルワンダにいるべき部族ではないのだからと教えられ、毎日ツチに対する人種差別を見て育ちます。最初は学校で、それから職場で。そして、蛇とかゴキブリとかと呼んで蔑むことを教えられます。  彼らが私たちを殺すのにまったく躊躇しないのも不思議ではありません。蛇は殺されるべきものであり、ゴキブリは絶滅させるべきものなのですから。  世界は、過去にも同じようなことが起こったのを見てきました。  ドイツのナチの出来事の後で、世界じゅうの大きな力のある国々は誓いました。  もう決してこんなことがないようにと。  でも、今、ここに、この暗闇の中に六人の罪もない女性がうずくまっているのです。ツチに生まれたからというだけの理由で。  どうして歴史は同じことを繰り返そうというのでしょう。こんな恐ろしいことが、どうしてまた起こったのでしょう。どうして、悪魔はまた、私たちのあいだを平気で歩き回れるようになったのでしょう。人々の心に、もうどうしようもなく、手遅れになるまで毒を流し込みながら。」
—『生かされて。 (PHP文庫)』イマキュレー・イリバギザ, スティーヴ・アーウィン著
「「虐殺は、人の心の中で起こるのよ、ジャン・ポール」と、私は言いました。「殺人者たちだってきっと良い人なのよ、でも、今は、悪魔が彼らを支配しているんだわ」」—『生かされて。 (PHP文庫)』イマキュレー・イリバギザ, スティーヴ・アーウィン著

こうしてルワンダでは僅か3カ月で80万人以上がジェノサイドの犠牲となりました。

何度も同じことを繰り返す我々人間は、愚かな生き物でしか見えなくなります。それでも、真実を霧で覆い闇に葬ることはすべきではありません。

真実を記憶に残し、2度と同じ過ちをしないために、真摯に歴史に向き合って未来へ向かって歩くべきだと思います。

それと同時に、国際社会全体でそうした国々の加害者も被害者も含め全ての人々をヒューマニズムの愛でバックアップしていく暖かさと多様性を認め合い、赦しあうということが求められていると思います。

もはや何一つ変えることが出来ないときには、自分たち自身が変わるしかない
ヴィクトール・ E・フランクル

紛争だけではありません。コロナのパンデミック以降どうでしょうか?世界が一つにならなければいけない状況で分断してしまっているように感じます。

以降ネタバレが散見するため注意

ルワンダのジェノサイドと忘れられた巨人

以降ネタバレが散見するため注意

「忘れられた巨人」を前述の「生かされて」を読了後に読み返すと、全てルワンダやユーゴ紛争と同じような状況であるように思えてきました。

アーサー王による強い統治がアーサー王の死後、制圧による平和が崩れ、ブリトン人とサクソン人たちとの間で差別が広がります。

物語の序盤、ブリトン人であるアクセルたちはサクソン人優勢な村に住んでいたため、蝋燭すら分け与えられず、兎の穴のような穴倉での生活を強いられていました。意を決して離れ離れになった息子に会いに行く道中で、彼らはサクソン人戦士ウィスタンとサクソン人の少年エドウィンに出会います。

エドウィンは悪鬼に襲われかけたところをウィスタンに救出され、ある事が原因で傷も負っていました。すると、親戚や隣人らから、今度は鬼になると差別を受け、殺されかけます。

昨日まで仲の良かった隣人や親戚までもが殺人鬼になるのはルワンダのジェノサイドを彷彿させます。

霧とは?

物語の中で重要な役割を果たす霧。

これは雌竜クエリグの息でした。

そして、その息を吸うことで、人々から記憶を少しずつ忘却させていく魔法をかけたのは、ブリトン人アーサー王に仕えた魔術師マーリンです。

ブリトン人とサクソン人はこうして、少しずつ記憶を忘却しながらも、なんとか共同生活をしていたのです。

これは例えると、国家権力によるコントロールとも言えます。
一部のブリトン人によるコントロールによる和平が一時的に保たれている状況です。

竜とは?

そして、竜を倒してしまう事で、失われた記憶を取り戻すことができるのです。

竜は、国家権力の象徴のように思えました。

戦争や紛争で生み出された憎しみ合いは負の連鎖を生み続けます。

強制的に抑圧による平和が何かの拍子にその圧力をコントロールしている側が崩れると、一気に紛争へと変わっていくのは、旧ソ連崩壊後の旧ユーゴの歴史やベルギーが撤退したルワンダの歴史が物語っています。

記憶を霧で覆ってしまっても、いずれボロは出てきます。

宗教

過去の歴史上、カトリックの布教とともに、戦争や紛争が起きているのも事実です。
※僕はカトリックを信仰しており、カトリックを否定していない。

物語で登場する修道院の神父さまたちの中でも、サクソン人を始末すべきと考える人とそうではない人とで分かれています。

そして、もっとも批判をしていると感じたのは、彼らが直接手を下さず、ブリトン兵士たちや獣にサクソン人を任せる場面でした。

カトリック信仰を真に強く心に持っていたら、自分自身に負けてしまった神父さまたちも赦しを与え、始末だとかそれ以前にサクソン人であろうとブリトン人と平等であると考えられたはずです。人間の弱さを露呈してしまう神父さまたちもいたということが揶揄されている場面に見えました。

「中略。あなた方キリスト教徒の神は、自傷行為や祈りの一言二言で簡単に買収される神なのですか。放置されたままの不正義のことなど、どうでもいい神なのですか」(ウィスタンからジョナス神父への問い)
中略
神の慈悲を悪用してはなりません
中略」(ジョナス神父からウィスタンへの答え)
「忘れられた巨人」カズオ・イシグロ p231


復讐と愛と赦し

サクソン人である戦士ウィスタンは、ブリトン人たちの中にもアクセルら夫婦のように理解しあえる人々がいることもわかっています。

それでも、ウィスタンは少年エドウィンに、ブリトン人を憎しみ続けることを誓わせました。

そして、虐げられた側が、かつての記憶を霧から晴らし、同胞たちに正義と征服、復讐を果たす道を開くというのがウィスタンにとっての真の目的でもありました。

ここまでは国家や共同体にとっての記憶ですが、個人間ではどうだったのでしょうか?

記憶を取り戻したことにより、都合の悪いことも夫婦はお互い思い出します。

アクセルに対し不貞を一度行ったベアトリス。

そんなベアトリスを赦せず、意固地になっていたアクセル。

彼らは、最終的に赦しあえたのでしょうか?

真に愛し合っていたら、船頭は二人を乗せて船を島(アヴァロン?)まで出すと言っていました。しかし、実際にはベアトリスだけが船に乗せられてしまいます。

一見すると、二人は真に愛し合えていなかった時期があって、そのせいで結局一緒にアヴァロンへは行けなかった。

となるのかもしれません。

僕は、そうではなく、たとえ一時赦しあえなかった時期があっても、最後には赦しあえており、のちに島で合流できると思っています。

お互いの記憶を取り戻したことで、思い出とともに、離れ離れの期間孤独を紛らわせるのだと思います。

もし、記憶が戻っていなかったら、それすら出来ず、孤独が待ち受けているだけだったのではないでしょうか。

忘れられた記憶

「でも、アクセル、わたしたち、そのころを思い出すことさえできずにいるじゃなりませんか。そのころも、その後も。派手な喧嘩の思い出も、楽しかった瞬間の思い出もない。息子の顔も、いなくなった理由も思い出せない」
「取り戻せるさ、お姫様。全部、取り戻せる。それに、おまえへの思いは、わたしの心の中にちゃんとある。何を思い出そうと、何を忘れようと、それだけはいつもちゃんとある。おまえもそうじゃないのかい、お姫様」
「忘れられた巨人」カズオ・イシグロ p74
「中略 雌竜を倒したとする。そのとき、一つ約束してほしいことがあるんだ」
中略
「たいしたことではないんだ、お姫様。クエリぐが死んで霧が晴れ、記憶が戻ってきたとする。戻ってくる記憶には、おまえをがっかりさせるものもあるかもしれない。わたしの悪行を思い出して、わたしを見る目が変わるかもしれない。それでも、これを約束してほしい。いまこの瞬間におまえの心にあるわたしへの思いを忘れないでほしい。だってな、せっかく記憶が戻ってきても、いまある記憶がそのために押しのけられてしまうんじゃ、霧から記憶を取り戻す意味がないと思う。だから約束してくれるかい、お姫様。この瞬間、おまえの心にあるわたしを、そのまま心にとどめておいてくれるかい?霧が晴れたとき、そこに何が見えようと、だ」
「忘れられた巨人」カズオ・イシグロ p388

共同体であれ、個人間であれ、このアクセルのベアトリスへの愛に裏打ちされた言葉こそが、負の連鎖や個人間での大なり小なり猜疑心や憎しみを上回るものではないかと痛烈に感じました。

記憶=思い出、歴史。

こうした愛に支えられた記憶=他者たちの記憶がほかの他者たちへと後世へ受け継がれることで、負の連鎖も止められるきっかけになるかもしれません。

おわりに

今回のイシグロ作品は、ファンタジーの舞台であるにもかかわらず、現代を風刺した、とてもマクロなテーマがいくつも流れていました。

「忘れられた巨人」の巨人とは記憶や歴史なのでしょう。

そして、この作品を再読しなかったら、僕は前回記事にしたルワンダの女性の手記も手にとりませんでした。

後半、ウィスタンとガウェインは激しく剣を交えます。
その場面で、2人の剣が一瞬ひとつになります。
僕はその場面がとても印象的であり、著者が、国、民族、人種、宗教、性別、年齢、全てを取っ払ってお互いに認め合うべきと訴えているように思えてなりません。

カズオイシグロは、僕にとって、様々なことへの問題意識を持たせてくれる小説家です。


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