見出し画像

アリ・スミス四季四部作③『春』

はじめに

アリ・スミスの四季四部作 第三部『春』を読み終えた。

岩を割るためにその隙間から緑色のか細い芽が出るとき、植物にそうさせているのは何もの?
『春』アリ・スミス著 木原善彦訳 新潮クレストブックス p15

読み終えた日、大きな時事問題でもある、ウクライナの悲惨な状況の中で、今年ヨーロッパを襲っている異常気象。
ウクライナも例外なく、熱波が襲い、気象警報が出ているニュースを見た。

戦時下のウクライナに火災発生の気象重大警報が出された。

欧州大陸の多くの地域では過去1週間、記録的な高温や山林火災などに見舞われた。
英国では40.3度の史上最高の気温を観測。世界保健機関(WHO)によると、スペインとポルトガルでは熱波が原因で住民1700人以上が亡くなった。スロベニアでは過去最大級の山林火災が発生した。
CNNによるニュース 2022/07/23

人の覇権的欲望からの戦争や紛争に自然災害。

ウクライナだけではなく、この異常気象の中、日々の過酷な現実過酷な現実に晒されている世界中の難民のひとたちの中には、子どもからお年寄りまで立場の弱い方々も大勢いらっしゃる。

昔よりもはるかに何もかもが便利ですぐに手に入る。物も知識も何もかもが、ほとんどインターネットで事足りる。それなのに、人と人を繋ぐ優しさってどこに行ってしまったのだろう。
そんなことをふと思った。

あらすじ

物語は3部構成となっている。
第1部では老映像作家の主人公リチャードは昔、脚本家のパディとタッグを組んでいたことや、先の長くないパディからマンスフィールドとリルケの1922年のスイスでのことを聞く。

第2部ではブレグジット後の2018年前後の移民局の警備員の女性ブリトニーと移民の少女フローレンスのやり取り。

第3部では、パディを失ったリチャード、ブリトニー、フローレンスがスコットランドの駅で偶然出会い、3人が旅をする。

前2作品同様、思考の散文詩的なアリ・スミスの文体がコラージュ的に散らされて、最後にまとまる。

前2作品の感想はこちら


テーマ

ブレグジット後の移民問題
生と死

ブレグジット後の移民

英国は2018年12月19日にEU離脱(ブレグジット)後の移民に関する白書を公表した。人の自由移動を終了させ、欧州経済領域(EEA)の市民を優遇しない、技能に基づく制度を2021年から導入。
これによって英国へのEEAからの移民もビザが必要となり、移民流入量を減少させるのが狙いのひとつでもあるかのようだ。
短期就労者たちは家族の呼び寄せや年金受給はできない。また、ビザを一度失効すると12カ月間は申請できないほか、出身国も限定される。
ブレグジット後の移民制度の概要を発表
日本貿易振興機構

世界での移民人口

国連によると国境を越えた移民は2020年時点で世界で約2.8億人いる。年500万人のペースで増え、世界の人口の約3.6%を占める。

各国の移民人口は2020年のデータでは次のとおり。

1位  米国    50,632,83人
2位  ドイツ   15,762,457人
4位  ロシア   11,636,911人
5位  英国    9,359,587人

13位 ウクライナ 4,997,387人
24位 日本    2,770,996人
世界の移民人口 国別ランキング・推移
グローバルノート

移民受け入れ問題を抱えたままの日本。

入国管理局の対応を見ていると、難民や移民は犯罪者ではなく、やむを得ず国をあらゆる困難を覚悟で逃げ出してきているのに、なぜか犯罪者のような扱いをされているようなイメージが残る。

スリランカの女性、ウィシュマさんが亡くなった事件も記憶に新しい。


アジアを見ると、ロヒンギャ難民の方々は近隣国のバングラデシュやインドへと移民されたり、アフガンの難民の方々、ウクライナの方々、アフリカ各国の方々など、世界中で抑圧的政権下の国や紛争、戦争から逃れて移民とならざるをえなかった人たち、難民キャンプで生まれた子供たちなどが今も過酷な現実の中、生きている。

感想

第3作目の『春』は出だしの序文がパンチラインの洪水に思えた。
3作品共通して感じるのは、アリ・スミスは最初の掴みが上手い。
そして、やはり、現実としてある社会問題への鋭い眼差しと、最後は温かく締めくくってくれるのが絶妙で、読んでいてもしんどくならない。

今回の移民や難民に通じる事柄は身近に感じる人とそうでない人もいるかもしれない。
僕の仕事柄、海外実習生の方々のおかげで成り立っているような業界でもあり、とても切実な問題にも思えるが、そうでない人たちにとってはどうなのだろう。遠い自分とは全く関係のない世界の事なのだろうか。

希望とは、豊かな生活をしているひとたちのためのものではない。
希望とは社会的に弱い立場のひとたちや絶望的な現実を生きているひとたちのためのものだ。
マルクーゼ『一次元的人間』の締めくくりで引用されたベンヤミンの言葉「希望無き者のためのみに、我々には希望が与えられている」

誰かがそんなことを言っていた。

埋め立て地の山で生ゴミを食べている子供たち。セックスで金を稼ぐ、あらゆる年齢の子供たち。今この十三時四分にも、彼らは利用され、映像に撮られ、その頭の上で金がやりとりされている。両親がどこにいるのか分からない数千の子供たち。中略
あなたが今、昔よりよくなったと言ったその世界で。
『春』アリ・スミス著 木原善彦訳 新潮クレストブックス p238

そして、子供は希望であり、全てを照らす太陽でもある。

その太陽が枯れゆく老木にも降り注ぎ、次の生命の道標のように土に影を落とす。

アリスミスの『春』はブレグジット後も変わらず大変な思いをして過ごしている移民たちの現実を散文詩的に描いてもいる。

1922年、偶然にも同時期にリルケとマンスフィールドはスイスのあるホテルに滞在していた。彼らのすれ違いに想いを馳せながら、主人公の映画監督リチャードが自分のために描く物語、作中作『四月』もなかなか良かった。

人と人との出会いは、実際に出会うことがなかったとしても、偶然の連続であり、そうして小さな歴史を紡ぎながら生きている。

それは、過酷な現実を抱えて希望を生きようとする移民の人たちも同じであり、豊かな人たちの生活はそうした人たちの上に成り立っていたりもする。

“移民危機”なんて呼び方はやめて、中略
危険を顧みずに世界を移動する個人。かける六千万。日々悪化する状況から危険を顧みずに世界を股にかけて逃げ出した個人、全員がそう。移民危機ですって?あなただって移民の息子なのに。
『春』アリ・スミス著 木原善彦訳 新潮クレストブックス p69

難民の方々への支援や受け入れ、海外実習生の方々の制度を早急にきちんと法的整備し、多くの方々が日本に来て良かった、ここに永住しよう。と思ってもらえる未来が描けたら、素敵な春になるのではないだろうか。


余談:
今回のダニエルはどこ?絵葉書や彫刻?リチャードも移民、ダニエルも移民、希望に寄せて。
移民の少女はフローレンス・スミス
マンスフィールドの「一杯のお茶」に出てくる貧しい少女もスミス
著者もスミス。

さて、次はいよいよ完結編『夏』を読みます。


この記事が参加している募集

読書感想文

海外文学のススメ

いただいたサポート費用は散文を書く活動費用(本の購入)やビール代にさせていただきます。