見出し画像

ハードボイルド書店員日記【72】

今日はずっと暇だ。

マスクの下で欠伸をしつつ、店内を巡回する。万引き防止の声掛けと棚整理が主な目的だ。乱れを直し、違う本が平積みの上に載っていないかを確かめる。特に実用書のコーナーで展開している暦は念入りにチェックする。一見どれも同じで全て異なるのだ。

「古畑任三郎のDVDどこ?」そんな声が聞こえる。黒いニット帽を被った眼鏡の老紳士がアルバイトの女の子に訊ねている。「実習生」の札が外れたばかりの専門学校生だ。「申し訳ございません。当店はDVDのお取り扱いがなくて」おいおい。大股でレジへ向かう。

「お客様」横からさり気なく声を掛ける。「当店は通常のDVDはございませんが、雑誌とセットになっているタイプのものでしたら」「そうそう、最近出たやつ」「ご案内します」コンビニや書店の接客対応はAIにはムリとされる理由のひとつがこういうところだ。

「すいません」戻ると頭を下げられた。表情が硬い。「そうですよね、雑誌で出てるのがあるんですよね」「俺も同じことをした。先輩から『お客様、いまこの者が申した通り、当店は通常のDVDは置いてございませんが』みたいにフォローされたよ」「え、『この者』とか言うんですか?」「俺は言わない」「ですよね」少し目元が緩んだ。これでいい。

老紳士が買いに来た。「さっきはありがとう」「いえ」「いっぱい積まれてたね。売れてる?」「期待したほどには」正直な感想だ。「積んでるから売れてるとは限らない?」「売れたから、もしくは売れそうだから積むケースもございます。しかし大量に送られてきたのでやむなくということも」「へえ」話しながら慎重におつりを確かめる。繁忙期よりもこういう日の方が誤差は出易い。

「…ただ」「ん?」「仕方なく積んでいるうちに何かの拍子で動くパターンもございます」「ああ新聞広告とか」「あとは芸能人が紹介したり」「いま多いよね。ぼくはああいうの信用しないんだ。あなたたちみたいな本のプロが勧めるなら別だけど」複雑な気分に襲われた。たしかに書店員は「本を売る」プロだ。だが「本を勧める」プロかどうかは人による。

ポリ袋をお渡しする。「あれ、何て言うんだっけ? 本の内容を紹介する」「POPですか?」「あなたは書かないの?」「たまに」「ああいうのってさ、読まないでも書けるものなの?」「あらすじを見たりネットの書評を参考にすれば」「そっか」声のトーンが下がる。「でも私は読んだものしか書きません。面白かった本なら自信を持ってオススメできますから」「最近は何か書いた?」「はい」「案内してくれる?」「喜んで」

さり気なく寄り道をし、思想・哲学のコーナーで歩みを止める。「こちらです」パウロ・コエーリョ「弓を引く人」だ。面陳する棚の前面に貼られた長方形の紙に「日々の迷いを消し、集中するためのヒントをくれる一冊です」と黒の油性マジックで書かれている。というか、私が書いた。「この人、作家だよね」「はい『アルケミスト』で知られています」「でもここに置くんだ?」「内容に合わせました」文芸書担当が返品しかけたのを貰い受けたとは言わなかった。

老紳士が本を手に取り、パラパラとめくる。「言ってることはあれに近いね。ずいぶん昔に読んだ」「こちらでしょうか?」文庫の棚から抜いておいたオイゲン・ヘリゲル「日本の弓術」を差し出す。眼鏡の向こうの落ち窪んだ瞳が輝いた。「そうそう、これ! よくわかったね」「愛読書です」「じゃあ両方いただくよ」「ありがとうございます」

レジで頭を下げ、背中を見送った。彼の読んでいた「弓を引く人」の一節が脳裏を過ぎる。「弓道家でありながら、弓矢を扱う喜びを他人と分かち合わない者は、自分自身の持つ良さと欠点について知ることはできない」まさに。暇だからと欠伸なんかしているようでは修行が足りない。できることがあるはずだ。

「いらっしゃいませ」いつもより少し声を張り上げ、どこぞの警部補みたいな猫背を真っ直ぐに伸ばした。まずここから。「本の道」を日々拓いていこう。ハードボイルド書店員でした。

いいなと思ったら応援しよう!

Y2K☮
作家として面白い本や文章を書くことでお返し致します。大切に使わせていただきます。感謝!!!

この記事が参加している募集