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「クセ」との向き合い方

先日の「ハードボイルド書店員日記㉗」でモノマネを題材にしました。そんな私が学生時代、持ちネタにしていたのが「古畑任三郎」のマネ。「そうじゃありませんか、小清水せんせえー!」「彼は大きなミスを犯しました」等々。大好きで何度も見返した作品です。

第1シリーズでは第4回の「殺人ファックス」が印象深いです(ミステリィとしては突っ込みどころの多い展開ですが)。犯人から送られてきたFAXのちょっとした特徴でプロの作家である可能性を看破し、笑福亭鶴瓶さん演じる小説家を問い詰める古畑の推理が頭に焼き付いています。

プロではない私にも、文章を書く際に気に留めている「約束事」がいくつかあります。それは気づかれても何も問題ない。厄介なのは己の与り知らない「クセ」を見抜かれること。昔、修学旅行でトランプの「ダウト」をやってボロ負けしたのですが、あれは非常に恥ずかしかったです。

「クセ」といえば、一時期とある有名作家のミステリィに耽溺し、何作か続けて読んだことがあります。そして最終的に「犯人と判明する人物の描き方に一定の特徴がある」と気づいてしまいました。

もうその人の本は読んでいません。特徴の詳細も忘れました。でもいま思うのは「クセを見抜けた」レベルで満足していた自分は作家志望として浅はかだったということ。そこで「こういう変なクセが自分の作品にも必ずある。気を付けよう」となれば弱点を克服できたはずだから。

あるいは「他人のクセを見抜いて喜ぶ人ほど己のクセに無関心」なのかもしれません。古畑任三郎のモノマネを得意としていた私がダウトで惨敗を喫したように。構図としては「他人を強気で批判する人ほど己が批判されると打たれ弱い」に似ています。

だからといって必要以上には気にしていません。最近では「コンプレックス」と同じく、消すよりもむしろ前に押し出し、自分だけの武器にしてしまおうと考えています。「クセ」だとわかった上であえて隠そうとしない。そんな繊細さと図太さを併せ持ちたいですね。

Y2K☮でした。







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