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ハードボイルド書店員日記【191】

「スカスカだね」

土曜の午後。混雑するレジを抜け、担当エリアの棚整理をする。ポロシャツを着た白髪の紳士に声を掛けられた。ノンフィクションのコーナーを見ながら渋い表情を浮かべている。

「申し訳ございません」
「棚卸が近いの?」
「実は」
元・同業者かもしれない。
「会社からもっと返品しろって言われてるんでしょ? 箱数でノルマとか」
図星だ。ここの棚卸は、店に出ている本の価格と数を業者が閉店後から朝までにカウントする。手間賃は一冊いくらゆえ、在庫が少ないと出費を抑えられるのだ。
「気持ちはわかるけど、さすがにやり過ぎだよ」
たしかに書籍が足りないせいでどこも列が大きく傾き、面陳は一冊ずつ。まるで閉店を控えて仕入れを止めたお店の光景だ。
「『棚を貧相にしたら売れるものも売れない』と教わっているのですが」
「だったら守ればいいじゃない」
「ただ、その教えは他の書店で働く店長のもので」
いまの状況は不本意だと言外に伝えたかった。察してくれたのか、顔の強張りを少しほどいてくれた。

「この辺りの棚、ぼくは好きだったんだよ。同じ規模の書店ではあまり見かけない小さな版元の本を買えたから」
「気づいていただけて嬉しいです」
「でもほとんどなくなってる。めったに動かないのかもしれないけど、ああいう名著を置いてこその専門店じゃないのかな」
「仰る通りです」
「もちろん売れ行きの良し悪しで返すかどうかを判断するのも、書店チェーンで働く従業員の大切な仕事だよ。頼んでいないのに大量に入る本もあるから、返品しないとやっていけない。まあ再販制度のおかげで文化が守られてきたのも事実だけどね」
黙って頷く。
「ただ、それはそれとして返しちゃいけない本、置くべき本を見極める目も養っていかないと、今後の本屋は厳しくなると思うよ」
明らかに業界の大先輩だ。他の同僚だったら適当に謝って流すかもしれない。私も諸々の業務で忙しいタイミングだったらそうしていた。しかし抱えていたモヤモヤを代弁してもらい、悪い気はしなかった。

「実は仕入れたいけど棚卸が終わるまで自重している本があります」
「ほう」
「まさに今後の本屋に関するものでして」
「興味あるね」
「よろしければサービスカウンターまでぜひ。椅子もございますので」

「こちらです」
机の上に置かれたPCのキーを叩き「街の書店が消えてゆく」のデータを見せた。版元は創(つくる)出版。発行している月刊総合誌「創」で何度か同趣旨の特集を組んでいる。
「この本ね。あそこで見たよ。何だっけ、東京駅構内の」
「八重洲ブックセンターですか?」
「そうそう。よく知ってるね」
「私もあそこで購入して読み、ぜひ置きたいと」
皺に隠れた黒目がかすかにサイズを増した。
「大事なことだよ」
「特に印象に残った箇所をふたつご紹介させてください」
「暗記してるの?」
「たまたまです。まず21ページ」
記憶の底を掘り起こす。そこにはこんなことが書かれていた。

返品をできるだけ少なくするために、適正な配本で欲しいところに欲しい本を送り、無駄をなくすという仕組みを構築していくことが打開策の一つではないでしょうか。

「うん、ぼくもそう思うよ」
「私もです。もうひとつは143ページ」
ある個人経営店の店主がこんなことを話していた。

「こういう小売りの業界で、売り手が自分の商品を選ばずに商品が一方的に送られてくるというのはどうなんでしょうか。売り手が売りたいものを見つけて仕入れるというのは当たり前じゃないですか」

「本当はそうだけど、現実的に大型書店がそれをやるのは難しいよね。どうしても取次の見計らい配本に頼らざるを得ない」
自分のことのように腕を組み、考え込んでくれた。
「無知な末端従業員なりに知恵を絞ってみたのですが、取次が見計らいで送ってくるものと売り手が注文したものを差別化できないでしょうか? たとえば後者は本屋側の利益率を少し上げる代わりに返品が一定数を超えたらペナルティとか」
「なるほどね」
「私は一冊の棚差しで他店との違いを訴えるやり方を模索しています。己の好みだけではなく客層も意識して仕入れています。自分で選んだ本に関してはほとんど返さない自信があるのです」
本部指令みたいな外圧が来ない限りは。心の中で付け加えた。

老紳士は件の本を注文してくれた。「これに関してはあなたのお店で買いたい」とまで言ってくれた。この場を借りてお礼を申し上げたい。ありがとうございます。

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