見出し画像

ハードボイルド書店員日記【78】

午後3時30分、レジを出てひと息。資格書と語学書の常備を入れ替える。実用書もすごい量が来ている。後で手伝えたら手伝う。担当がふたりとも有休なのだ。ブックトラックのスペースを空けないと明日の早番が入荷した本を置けない。

「この先生のオススメ、ありますか?」

抜いた本を置くタイミングで文庫担当の女性に声を掛けられた。西村京太郎の新刊を抱えている。「ゴメン。読んだことない」最近は著名作家の訃報が多い。「これもそうだけど代表作は十津川シリーズでしょうか?」「たぶん」「ですよね。POPを付けます」「いいと思う。俺もだけど、ドラマを見ただけで本は未読の人が意外に多い気がする」「私もです。興味が出てきました。これだけ長く続くってすごいことだし」「原稿は全て手書きで月に400枚は書くと何かで読んだ」「え、それもすごい」私も読みたくなった。

「あ、西村さんといえば少し前にも」「西村賢太?」先月亡くなった芥川賞作家だ。「はい。先輩言ってたじゃないですか。彼の追悼コーナーにあの人の本を置いたらいいって」「あの人?」少し考えて思い出した。「田中英光か」西村氏がかつて傾倒し、研究書まで出した無頼派の私小説作家。太宰治に師事したことでも知られている。「たしかにポツポツ売れてます。よくご存知でしたね」角川文庫の「田中英光傑作選」をPOPを付けて併売したら、と勧めたのだ。

「たまたまだ。きっかけは何年か前に古本屋で新潮文庫の『オリンポスの果実』を見つけて衝動買いしたこと」「オリンポス?」「田中英光の代表作、と言っていいのかな」「オリンピックの話ですか?」「彼はロサンゼルス五輪のボート競技に出場している。その経験から生まれた作品だ」「え、ロサンゼルスってでもそんなに昔じゃないですよね。ソウルのひとつ前だから」こういう時、世代が近いと助かる。「1932年にもあったんだ」「へえ」2028年にも同所で開催される。あえて黙っていた。田中英光が出場した頃といまの五輪を同一線上で語りたくない。

「でもその話と」「『オリンポスの果実』は元々『杏の実』というタイトルだったらしい。太宰が改題させ、文芸誌に斡旋したんだ」「伝わる印象というか期待感が全然違いますね」「太宰にそこまでさせた作品だからいつか読みたいと願っていた。古書店で目にしたら」「そりゃ買います。絶版本で少々高くても」「でも読み終えた数か月後に西村さんの編集した文庫が発売され、そこに収録されていたわけ」「そちらの方が安かったと」「値段は変わらなかった。でも向こうは傑作選だから」「お得ですね」「新潮文庫の表紙を気に入っているからいいんだけど」「ふうん」抱えていた文庫本を私のブックトラックに置き、何やら考え込んでいる。

「私も似たような経験あります」「そうか」「ずっと絶版だった海外のミステリィ小説を神保町の古書市で見つけて買ったら、翌年に新訳が出たんです」「読み比べればいい」「え?」「訳者が変わったのなら細部のニュアンスや語彙のチョイスも同じではない。違いを楽しめるじゃないか。いい買い物をしたな」励ましたのに肩を落とされた。「そんな発想と無縁だった自分が恥ずかしいです」「俺も無縁だったよ。レイモンド・チャンドラーを複数の訳で読むまでは」またこの話をするのかと思った。

「図書館で借りた双葉十三郎訳の『大いなる眠り』に『うふう』というセリフがあったんだ」「うふう?」様々なシチュエーションで実績を残した”すべらない話”だ。「村上春樹訳では『ふふん』だった」「え、わからない。どういうことですか?」「原文は”Uh-huh”じゃないかな」「……なるほど!」小作りの顔から黒縁眼鏡が落ちそうだ。「めっちゃ面白い! チャンドラーのオススメ教えてください!」「ひとつ選べというなら」

翌週。ハヤカワ文庫の棚に村上春樹訳「ロング・グッドバイ」と清水俊二訳「長いお別れ」が並んで積まれた。しばしその前に立った。人は誰でもいつか逝く。だが後の世代の手により、多様な形で「何か」が受け継がれる。長いお別れをしても、彼や彼女は「何か」の中で永遠に生き続ける。名作たちが集う書棚。いつか私の小説もその片隅にささやかな居場所をもらえるだろうか。

この記事が参加している募集

#推薦図書

42,553件

作家として面白い本や文章を書くことでお返し致します。大切に使わせていただきます。感謝!!!