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ハードボイルド書店員日記【169】

「そんなに厳しいの?」

折り終えたカバーをカウンターの下へ仕舞い、メンターが微笑む。四六判のハードカバー用だ。芥川賞と直木賞が決まると、減る速度がシャア専用に変わる。発表は1月17日の水曜だ。

11坪の町の本屋。かつて指導してくれた人がひとりで支えている。いまでも店長としか呼べない。心の中では永遠にメンターだ。

「ですね。またひとり辞めるし」「ここもいつまで続けられるかわからんけど」「やっぱり厳しいですか?」「見ての通り」世の中が平常運転に戻った平日の午後。客は私しかいない。ぐるりと一周すれば知的好奇心を刺激され、新鮮な出会いに恵まれる空間なのに。

「本以外の商材は置かないんですか?」「アイデアは出してるよ。ありきたりだけどトートバッグと布のロゴ入りブックカバー。ポストカードは場所を移って観光客が来なくなったからやめたけど。ただ社長が本を売ることに矜持を持ってるから。時代の流れに逆らっても昔ながらの書店を守りたいって」その心意気には頭が下がる。しかし。

「昔の本屋は、必ずしも本だけを扱っていたわけではないようです」荻窪の某書店で購入した文庫サイズのZINEをコートのポケットから出す。松永弾正「本屋の周辺Ⅱ」だ。

「東大寺の大仏を焼いた人?」「名前は一緒ですね。ちなみにその見解には異論が出ています」レジ前を離れ、日本史の棚へ向かう。この店なら。あった。平凡社から出ている天野忠幸「松永久秀と下剋上」を手にして戻る。記憶を頼りに219ページを開いた。こんなことが書かれている。

「実際は両軍の戦闘により起こった不慮の失火に過ぎず、しかも放火は当時の一般的な戦闘行為の一環に過ぎなかった。どちらが火を放ったのかも確定できない」
「そもそも信長が延暦寺を焼き討ちしたのとは根本的に異なり、大仏殿を焼くこと自体は目的ではなかった」

わかったよ、と白い歯を見せる。「それで令和の梟雄が?」「久秀はまだしも、こちらの弾正は梟雄じゃないです。読んでいて真摯な求道者だと感じました。資料を探して丁寧に読み込み、現地まで足を運んで話を聞き、全国の本屋の歴史を調べてくれているわけですから」「冗談だよ。ごめん」「とある本屋が出した大正期の広告が載っているのですが、書籍と雑誌以外に文房具や学校用品、楽器まで扱っていて」「楽器?」「他の書店が昭和32年に出した広告では、営業品目に各種郷土玩具、陶磁器、竹工品……」「ちょっと見せて」

食い入るように読んでいる。「喫茶店もやってるね。昔から本屋と相性が良かったんだなあ」「ここもどうです?」「地下にコーヒーを提供するスペースが誕生するかも。本を買った人はサービス価格」「いいですね」

「最近、本屋の閉店ニュースをよくネットで見るけど」買い終えた後の帰り際。思い出したようにメンターがつぶやく。「『文化を守れ』『国は書店を何だと思ってるんだ』みたいな論調が目立つよね。あとは『経営努力が足りない』『時代に合わせて変わらなきゃ淘汰される』とか」「ええ」「お客さんが惜しんでくれるのは嬉しいよ。変化が必要なのもわかる。でも努力でどうにかできることばかりではないし、かといって嘆いたり憤ったりしても状況は動かない」「僕も職場で感じてます」「だから変えたくないものを守るために、変えるべき点を見つけて変える。理念をより具体的に日々の仕事へ落とし込む。そこを突き詰めたいね」

「本屋の周辺Ⅱ」を再びポケットから出し、85ページを開いた。ちくま文庫の橋本倫史「ドライブイン探訪」からの引用でこんなことが書かれている。

「僕にできることは、消えゆくものを惜しむことでも、終わってしまったものを愛でることでもなく、声を拾うことだと思っています」

「まさしくそうだね」大きく頷く。「ここも似たようなモンだよ。ひとりひとりのお客さんの声なき声を拾い、いま必要な一冊を届ける。この本を買ってくれたから次はあれを入れてみようって。世の中とか社会とか主語の大きなアレじゃなくてね」「肝に銘じます」「君の働く店はここまで小さくないでしょ」「でも根本的な課題はたぶん一緒です。売り上げデータを見ることも大事だけど、どういう人がどんな本を買ってくれたかをレジでもっと意識してみます。あとは世間のトレンドじゃなくて、ウチに来てくれる人が潜在的にどういう本を求めているかを」

嘆いている暇はない。できることはたくさんあるのだ。

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