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2021年「真夏の3冊」

梅雨が明けて一気に暑くなりました。夏ですね。

夏といえば何でしょう。夏休み? 非正規書店員の私にそんなものはありません。でも夏休みと聞いて即座に頭に浮かぶ小説ならあります。

定番といえば定番です。ご存じ村上春樹のデビュー作。当時経営していたジャズ喫茶の営業終了後、お店で毎晩原稿用紙に書いたとか。

ひと夏の唐突な出会い、そして別れ。海とビールとフライドポテト。重大な何かが起こりそうで何も起きず、また灰色の日常へ戻っていく。夏休みの実態なんてそんなものですよね。意味などない。でもそういう無為に見える時間を持てることがどれほど尊いか。いまなら身に染みて実感できます。

「僕」と鼠、そしてジェイの必要以上にベタベタせず、それでいて思い遣りに満ちた友情が好きです。「懐かしさ」と「憧れ」という一見相反する感情を等しく駆り立てる。ちょっと悔しいです。こんな夏を過ごしてみたかった。せめて本作を読み返すことで「青春の忘れ物」を空想の中に探しにいくのもアリかなって。

そして夏といえばまぶしい太陽。太陽といえば↓しかありません。

「太陽のせいで人を殺した男」ムルソーの物語。大学時代、本好きの仲間たちと文学部のオープンテラスで「読書会」を開催したのですが、第一回の課題図書がこれでした。「今作における『太陽』は何を象徴しているか?」を熱心に話し合った記憶があります。

大学時代、苦手な友人がいました。笑顔が爽やかなイケメンでした。真っ直ぐで意志が強くてカリスマ性があり、しかも帰国子女でギターまで弾ける。文字通り太陽みたいな男でした。妥協しない厳しさのおかげで鍛えられたのはたしか。でも彼の発する膨大なエネルギーの渦に巻き込まれて貴重な時間を奪われた自覚もある。

生きるために必要。でも時々嫌い。うざい。ほっといてくれ。太陽は私にとってそういう存在の代表格です。

最後に夏といえば恋。ひと夏の恋といえば、私は↓の一択です。

これ、意外なほど知られてないんですよね。文庫化したのは2015年ですが、すでに新刊の入手が難しい状況。人気がないのかもしれない。

「ティファニーで朝食を」の天才作家トルーマン・カポーティが10代のころに書いた習作です。残念ながら未完で、内容も未熟といえば未熟。

でも考えてみてください。10代の恋愛が未熟じゃなかったらそんなの真っ赤な大嘘でしょう。フランソワーズ・サガン「悲しみよ、こんにちは」と同じく、著者が10代だからこそ書けた稀有で瑞々しい小説。フィクションなのに嘘がない。だからこそ言葉や行動の切実さに胸を打たれるのです。

そして繰り返し読んでいくうちに「打ち切りエンド」みたいなラストがなぜか「これ以上ないベストなタイミング」に見えてくる。岡本太郎の名言「今日の芸術は、うまくあってはならない」とはこういうことかな、と学びました。

以上「新潮文庫の100冊」ならぬ「ハードボイルド書店員の3冊」でした。お近くの書店で見掛けたらぜひ。

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