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必要なのは「自分だけの何か」

田村正和さんに続いて三浦建太郎さんまで。。。

ファンなら誰もが同じ気持ちだと思いますが「ベルセルク」最後まで読みたかったです。新刊が出るたびに「次はいつかな」と楽しみにしていました。

序盤はグロテスクな表現が続き、そういうのに免疫がなかったので読むのが辛かったです。でも「鷹の団」編に入って一変しました。特に好きだったのは、ガッツが入団を懸けてグリフィスと闘う回。

ガッツは本気でグリフィスを憎み、殺そうとします。対するグリフィスは「俺は欲しいものは何でも手に入れる」と余裕そのもの。

ガッツの猪突猛進を柳のように受け流すグリフィス。まるで闘牛と闘牛士。痺れを切らしたガッツは剣で泥をすくってグリフィスの顔にぶつけ、視界を遮ります。でもチャンスと見て振り下ろした一撃をグリフィスは目を閉じたままジャンプしてかわし、ガッツの剣の上に立つのです。そして先端に体重を掛けて動きを封じ、ガッツの喉元に己の刃を突きつける。

この剣の上へ飛び乗った見開きの絵は衝撃でした。ふたりの力関係、人としての器の差を残酷なまでに暴き出していたから。台詞も説明も不要。優れた絵画の表現力というものを初めて実感しました。

この話には続きがあります。数年後「鷹の団」を離れる決意をしたガッツを引き留めるため、グリフィスは再び一騎打ちを挑むのです。

しかし前回とは異なり、グリフィスに余裕がありません。「そんなに俺の手の中から出て行きたいのか」という寂しさと「失うぐらいなら殺しても構わない」という後ろ向きな敵意が入り混じって心が乱れています。一方のガッツは悩み抜いた末に決めた道だから迷いが微塵もなく、まさに泰然自若。

結局先に仕掛けたグリフィスの剣を、ガッツは上から撃ち落としてみせます。かつて剣の上から見下ろされた相手を、今度は剣の下で屈服させる。この場面でも三浦さんは、ふたりの関係性が逆転してしまった事実を絵だけで容赦なく表現してみせました。

城持ちの貴族になり、次期国王も夢ではない地位まで上り詰めたグリフィス。一方彼の部下として闘ったことで掴んだ栄光を捨て、「誰のためでもなく自分のためだけに闘って何かを掴みたい」とひとりで旅に出るガッツ。社会的な評価ではどちらが「勝者」かは明らか。でも富や名声を抜きにした一対一の勝負はまた別の話なのです。

このふたつの場面は、私の生き方にダイレクトに繋がっています。通常は誰しもグリフィスみたいな人生に憧れます。実力で出世し、お金持ちになり、社会から認められ、理想的な家庭を築く。そんな留保ゼロで称えられる生き方に。もちろん立派な目標です。

でもそういう「幸せモデル」がしっくり来ない人も世の中には存在します。少なくとも私の目にはそれらに背を向け、「自分だけの何か」なんて漠然としたものを探すことを選ぶガッツの方が眩しく映りました。

私の中では、いまでもこの「ガッツの選択」が小さな炎を燃やしています。そしてそのことに微塵も後悔はない。己の本心に嘘をついてみんなと一緒にグリフィスを目指したりその手下に甘んじていたら、と考える方が背筋に寒気を覚えます。

「ベルセルク」は「他人は関係ない。自分の決めた道を選んでいい」という勇気に対する後押しと「ただしその道は険しい。後悔するかもしれないよ」という覚悟の準備を私に与えてくれました。おかげで何とかこうして生きています。三浦先生、本当に本当に素晴らしい作品を描いてくださってありがとうございました。


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