パニック障害が良くなってきたときに頑張ってはいけない理由
元気になると頑張ってしまって、
結果的に前よりも調子が悪くなるという私の悪い癖からいろんなことを学んだお話。
なんだか最近不安感もあまりなくなったし、
たくさん外に出られるし、
そろそろ仕事増やしちゃおうかな。
前から気になってた習い事も始めちゃおうかな。
パニック改善のため大手ジムに一年通っていた。
スタジオのヨガも好きだったけど、
いつも通る道にあるキックボクシングジムがずっと気になっていた。
その時仕事は在宅だったので知り合いの店の居酒屋で数時間、
保育園のお迎えまで働かせてもらうことにした。
在宅を終わらせてジムに行って、居酒屋。
在宅→ジム→居酒屋のルーティンがいい感じになって来たので、
気になっていたキックボクシングジムに入会。
オレンジ色のヒョウ柄のド派手なマイグローブまで購入して、ルンルンだ。
今思うと本当にお馬鹿だなと思うのだけど、
在宅→ジム→キックボクシング→居酒屋というルーティンをつくった。
しかも、時間をあまりあけずに次から次へと。
6ヶ月くらい経った頃、
ジムに行っても、
キックボクシングジムに行っても、
居酒屋に行ってもなんだか調子が悪い。
おまけにジムで行っていたダンベルスクワットで股関節を負傷してしまった。
ここでスケジュールのせいだと気付かない私はなんなのだろうか(笑)
幸い股関節を負傷したおかげで、
ジムもキックボクシングジムも休会することになった。
これ以上動くな!!と、
股関節が私の暴走を止めてくれたのだろう。
在宅ワークと居酒屋だけになり、
居酒屋のシフトも少し減らしてもらった。
そしたら少しずつ回復して行った。
私は元々アクティブであまりじっとしていないタイプなので、
パニックが良くなったことが嬉しくて動き回ってしまった。
そしてその1年後。
在宅ワークをクビになり(この話はまた記事に書こうと思う)別の仕事に就いた。
書店員になった私。
書店員の仕事に慣れてきて調子の良くなった私は、もう少しお金を稼ごうとWワークを始める。
ラーメン屋での経験があったので家の近くのラーメン屋さんで。
入ってみると常に人が足りないような所で、
混雑するお昼時でもホールを1人で回すのは当たり前。
とても最低賃金で働くようなお店ではなかったのだ。
唯一の救いは賄いが美味しいことくらい。
1人で回すことが本当にしんどくて、
9ヶ月でギブアップしてしまった。
自分からギブアップ出来たので、
今回は進歩したと思う。
それからまた1年位して、
めちゃくちゃ調子が良かったので今度こそ!
と思って今度はエステサロンでWワークをし始めた。
なんで私がこんなに働きたがるかというと、
シングルマザーだからだ。
他に稼いでくれる人は誰もいない。
1万でも2万でも、
収入を増やしたかった。
でもこれが地獄の始まりだった。
職種をミスってしまった。
エステサロンで働いたことはあるし、
大変さも知っていた。
そこのエステサロンは最低賃金なのに交通費もでない。
仕事量の多さに加え試験勉強など、
やる事が多すぎる。
タイムを測られながらの施術も私には向いていなかった。
試験まで日数が近付いてくると、
毎日毎日いつなにをしていても頭の中に施術の工程が浮かんでしまう。
眠っている時も、
寝ているのに試験の内容のことを考える。
考えようと思っていないのに、
頭の中がそれでいっぱいになってしまっていた。
今考えると、
一種のノイローゼのようなものだったと思う。
そして試験当日、
始まる少し前にお腹が痛くなってしまって職場のトイレから出れなくなってしまった。
本社の方に待ってもらって試験は無事に受ける事ができてなんとか合格したのだが、
そこからメンタルがおかしくなった。
1人のお客様に対してエステティシャンが1人つきっきりで60分施術しなければならない。
=そこから逃れられない。
そんな状況を1日に何回もこなさなくてはならない。
ノルマのことや、
お世辞を言わなきゃいけないことも私にとっては強いストレスだった。
良くなっていたはずの身体と心が次々と崩れていく。
仕事帰りの運転中、
『私はこのまま車に突っ込んで死んでしまうんじゃないか』
『頭がおかしくなって運転中わけもわからないまま死んでしまうんではないか』
冷や汗と動悸が酷くなる中そんな思考がずっと続き自分が何をしてるのかさえ分からなくなりそうで、
赤信号で止まっていることも困難になっていった。
たった1分止まっているだけなのに、
体感は30分ほどにも感じられた。
心と体の距離がどんどん離れる。
前に自殺しそうになった記事を書いたが、
この時はあれよりヤバかったかもしれない。
だってこれは薬の副作用などではないのだから。
もうコントロールを失って、
死ぬ未来しか見えなかった。
私はエステの仕事に行けなくなった。
書店の方にも行けなくなることが増えた。
職場の近くまではなんとか行けるのに、
職場まで辿り着けない。
これでは本末転倒だ。
毎日ヨガやストレッチ、
瞑想もしていたし色んなことをやってここまで回復したというのに、
全部が無駄になった。
これ以上、
何をしろっていうの?
何ができるの?
私はここまで一生懸命生きてきたのに、
それが故に私自身を諦めてしまった。
一度怖い思いをして、
あんなに嫌がっていた抗うつ薬のことをふと思い出す。
もしかしたら…
今度はよくなるかも…
もう自分の力を信じられなくなってしまって思考がおかしくなっていた。
この症状で死んでしまうなら薬くらい飲んでやる!というような強気な気持ちではなく、
これがダメならもう私は…という絶望的な気持ちで心療内科に電話をかける。
幸いすぐに予約が取れた。
処方されたのはやはり抗うつ薬だ。
前回とは異なる名前だった。
薬に抵抗があることを告げると1/4錠からスタートしてくれた。
飲んだその日、
私は知らぬ間に深い眠りに入っていた。
副作用だろう。
3週間くらい経った頃、
仕事をしている時に全身に汗をかき始めた。
季節は2月。
暖房もガンガンの季節なのにおかしい。
足の裏までびっしょりだ。
息子の歯医者があるのに今日は行けそうにないな。
母にお願いの電話と、
体調がおかしいことを伝える。
家に帰ってきて、
もう薬飲みたくない…というと、
やめたほうがいい!
そんな症状が出るなんておかしい!
と母も言うので、
飲むのをやめた。
電話で一度先生に確認したけど、
もう少し我慢すれば良くなりますよと言われた。
こんなおかしなこと、
もう少しも続けられない。
これがおかしくないなんて、
先生はやっぱりおかしい。
まだ少しの量しか飲んでいなかったので、
勝手に薬をやめた。
やっぱり薬は私には合わない。
無理だ。
じゃあどうする…
もう、何をしたって無駄だと思った。
今までこんなに頑張ったんだからこれ以上はないと思った。
息子がいなければ私はもうこの世にいなかったかもしれない。
こんなに辛い毎日を過ごすなら、
生きていない方がいいとさえ思っていた。
でも私には息子がいて、
私がいなくなったら父親のいない息子はどうなる?
施設に行くのかな。
母親が自殺したという傷を背負って生きていくのか。
そんなことを考えてばかりいたが、
息子の寝顔を見ながらもう少しだけ生きてみようと思った。
私は克服法を調べ尽くし、
まだチャレンジしたことのないものからひとつひとつしらみつぶしにチャレンジしていった。
これを食べるといいと言われれば食べ、
このツボを押すといいと言われれば爪痕が残るくらい押した。
食べ物、サプリメント、心理療法、ツボ、
鍼灸、ヨガ、ストレッチ、呼吸法、漢方、
運動、脳の仕組み、発作の仕組み、
とにかく色んなことを学びながら試していった。
色んなことを試して8ヶ月くらい経った時、
自分にはこれが向いているとか、
これはあんまり効果なかったなとか、
自分に合うものが見つかってきた。
合うものを試し続け、
自分に無理のないスケジュールを組んでいったことでなんと復活することが出来た。
コントロールを失って自分ではもうどうにもできない、
どうにもならないと思っていたのに、
自分の力でここまで上がってこれたのだ。
私がいろんな方法を学んで思ったことは、
対処法がたくさんあると安心感がまるで違うということ。
こういう時にこうするといいというものがあればあるほど、
発作の時に慌てなくなった。
これやってもダメだったから、
今度はアレにしようかな。
と、少し冷静に考えられるようになった。
対処法以外にも栄養療法などの日常的に取り入れるものもあると、
より安心感が増していった。
私が試してきたもので効果があったものをこれからも記事に書いていきたいと思っている。
とにかく、
少し良くなったりだいぶ良くなったからと言って、すぐに昔の自分に戻ったような感覚になってその時と同じようなノリで動いてはいけないのだ。
心は大丈夫でも、
体はまだついてきていないかもしれない。
体は大丈夫でも、心はまだかもしれない。
心の不調は悪者ではない。
『そっちじゃないよ。戻ってきてね。』
と、いつも私が違う道に行ってしまっていることを教えてくれているのだ。
私はこんな風に悪化してからスケジュール管理を見直して、
これ以上詰め込むとダメだというボーダーラインが分かったので、
今でも無理のない範囲で生活するようにしている。
書店の仕事は1年目は週3、
2年目から週4、2年半目で週5というように徐々に増やしていったら無理なく増やしていくことが出来た。
もう前みたいにコントロールを失うような自分ではないことが分かる。
自分の力で色んな壁を乗り越えてきたから大丈夫。
という自信がついたからだ。
いきなりじゃなくて、
ゆっくりゆっくり。
焦って治そうと思って悪化するくらいなら、
ゆっくりじわじわ良くなっていく方が結果的に早いのではないだろうか。
エステサロンで働いて悪化したおかげでスケジュールを見直し、
必死で学び、実践し、
今こうして記事になっているので無駄な日々ではなかった。
こうやってゆっくりだけど、
わたしたちは一歩ずつ進んでいるんだ。
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