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6歳の少女と剃刀と。


左の手の平の小指側の側面にカバーキャップ付きの剃刀を当て、
右手でその剃刀をスッと引く。

すると手の平にカバーキャップだけが残り、
手の側面から血が流れる。

手首を切っているわけではないからリストカットではないが、そんな感じだ。

痛みはない。
何も感じない。


なぜこんなことをしているかさえ彼女は考えていない。


リュックから取り出したキャップ付きの剃刀をパンツの中に忍ばせ、
託児所のトイレで浅く切る。


しかもこれをしているのはなんと6歳の少女だ。


6歳というと、
私の息子と同じ歳だ。


信じられない。


母子家庭で育つその少女には4つ下の妹と、
朝から晩まで4つの仕事をかけもちしている母がいる。




その少女というのは私のことだ。


夜になると託児所に預けられ、
夜中に母が迎えに来る。


託児所といっても保育園のようなものではなく、自宅と託児所が一緒になっている少人数制のところだ。


妹はまだ2歳。


ママが恋しくて、
夜中になるとワンワン泣き出す。

託児所の先生は優しくあやしてくれるのだけど、
うるさくて眠れないので私も一緒に抱っこして外に連れ出してみたりする。


やっと眠ったと思ったら、
迎えの時間だ。


車の中で眠る。


自分のベットで数時間寝て、
学校へ行く。


こんなルーティンだ。

ずっと寝不足だったと思う。


母は離婚するまでずっとDVを受けてきた。

私はずっとそれを見ていて、
あまりにも酷い時は小さいながらにセーラームーンのステッキを使って、
やめろ!!!ママを離せ!!!!
と、父を攻撃しに行った。

そんな母を見ていたからか、
子供ながらに私がしっかりしなくてはと思ったのだろう。

私が家族を守らなくては、と。


それから母は離婚して、私はホッとした。

仕事をいくつも掛け持ちして大変そうな母を横目に、わがままひとつ言わなかった。

というか言えなかった。

だから妹の子守りは率先してやっていたし、
母を困らせないように頑張っていた。


赤と青のものがあって、
どっちがいい?
と聞かれて本当は赤が良くても、
妹が赤を選ぶだろうと思えば青を選んだ。


大人というのは子供にはまだ理解能力がないと思っているのか悪気がないのか分からないが、
目がクリクリしていて天然パーマでとても可愛い妹と、
一重で日本人形のような私の顔を見て、

「妹は可愛いね」

などとよく話してるのが聞こえた。

姉の私の方は言われてもせいぜい
「愛嬌があるね」
くらいだ。

頑張ってる私の事は誰も見てくれず、
顔が可愛いだけで困らせてばかりの妹が褒められる。


子供なのだからその時に
「妹ばっかり褒められて悲しい!」
とか、感情を表に出来る子なら良かったのかもしれない。


いつからか自分より妹を優先し、
感情というものに蓋をしてしまっていた。


物分りのいい、
手のかからないいい子


例えるならこんな感じだろう。

この3年後くらいに発売されたあゆのA song for xxの歌詞が理解できてしまうくらいの子供だった。

いつも強い子だねって言われ続けてた
泣かないで偉いねって褒められたりしていたよ
そんな言葉ひとつも望んでなかった
だから解らないフリをしていた

A song for xx/浜崎あゆみ


いつも強い子だねって言われ続けてた
泣かないで偉いねって褒められたりしていたよ
そんな風に周りが言えば言う程に
笑うことさえ苦痛になってた

A song for xx/浜崎あゆみ


託児所で妹が毎日泣くので寝不足が続いた。

大人を困らせてはいけないという思いが強く、
眠かろうが文句1つ言わず他の園児が起きないように先生と一緒に寝かしつけをする。


感情の蓋は強力な接着剤で付けたようにもう、開かなくなってしまった。


子供のくせに、
泣くこともしなかった。


ある日託児所の先生が、

「〇〇ちゃんがお家でお風呂に置いてあったカミソリを踏んでしまって足の裏を切っちゃったんだって。
もう可哀想で可哀想で……」

旦那さんに話しかけているのが聞こえた。


怪我をしたら可哀想なんだ……!
心配してもらえるのかな。


何を思ったのか次の日、
家から剃刀を探し託児所に持っていった。

当時リストカットなんて言葉すらまだ知らないからやり方なんて知らないし、
とにかく怪我をすればいいんだと思っていたのでどこを切ったらいいのかも分からなかったが、
なんとなく手のひらにしてみた。

ちょっと心配してほしくて、
手のかかる妹ではなくて私を見て欲しくて
やってみようと思ったのだと思う。

生きてる証がほしいとか生きてる実感を得たいとか、
そんな理由ではなかった。


ただ本当に興味本位というか、
これをやったらみてもらえるのか実験したかった。

自分のことを意識してほしかったのだ。


冒頭に書いたようにトイレでスっと剃刀を引いて、
切れた手を先生に見せる。


幸い、ポタポタと血が流れてはいない。

薄皮が切れた。



「先生~なんか切れちゃった~」


先生は手を見ると、

「紙かなにかで切れちゃったのかな?」

と言って絆創膏を貼ってくれた。


あれ?

思ってた反応と違う。


次の日もその次の日もリュックから剃刀を取り出しては、
左の手のひらの位置を少しずらして、


「先生、また切れちゃった」


を繰り返す。


さすがに毎日切れるのはおかしいと思っただろうか。


気付かれたら先生はママに言うかな。

先生、怒るかな。

そしたら私、
どうしたらいいんだろう。

私のことを見て欲しかっただけなのに。


本当に私は血を見て安心したいとか、
死にたいとか思っていたわけでは全くなくて、自分を見て欲しいという気持ちの伝え方が分からなかっただけなのだ。

私のことを見て欲しい。

気にかけて欲しい。

心配して欲しい。

言葉で伝えることが出来なかったから、
行動でどうにか気付いて欲しかった。



先生は私の気持ちを察しているかのように肯定も否定もせずに、
毎回温かな手で絆創膏を貼ってくれた。

たった1分くらいのその空間が、
“私はちゃんとあなたのことを見ているよ”
と言ってくれているようでとても好きだった。


そこから先生は、
率先して私にお手伝いをお願いしてくるようになった。

唐揚げを作るからこれにこれを付けてここに置いてちょうだいとか、
お皿を拭いてしまってくれる?とか、
お風呂洗うの手伝ってとか。


『先生カラオケが好きだから一緒に行こう』と言って、
妹ともう1人の園児を連れて夜にカラオケスナックへ連れ出してくれた。

今の時代にこんなことしたら先生は批判されるだろうけど、
先生は本物のお母さんみたいだった。

そこのスナックのママはオカマで、
男なのに女の人の言葉を使って話すから子供ながらに面白かった。

先生の十八番は山本リンダの狙いうちと、
ジュディ・オングの魅せられてだ。

どちらも柔軟な体を使って踊りながら歌う。

私達も当時好きだったポケモンの、
ポケモン言えるかな?を歌ったり先生の歌を聞いたりして楽しい夜を過ごす。

土日になると、
電車に乗って動物園や小田原城にも連れていってくれた。

母が忙しくてどこにも連れて行って貰えない代わりに、
先生がいろんな所へ連れて行ってくれた。

“母の代わりに“という言葉が正しいのかは分からない。

本当に愛情を持って、
自分の子供と同じようにしてくれたと感じる。

後から母に聞いた話だと、
土日にかかったお出かけの費用を先生は一切受け取らなかったという。


そんなことをしてくれているうちに、
自然に剃刀を持たなくなった。


自分がどれくらいの期間それをしていたのかはしっかり覚えていないが、
そんなに長い期間していなかったことは分かる。


回数にしたら数回だったかもしれない。

自分のことをちゃんと見てくれている人がいるという気持ちが、
心を解いていってくれたのだろう。


しかも先生はなんと、
母に剃刀事件のことを1度も言わなかったのだ。

今の時代なら何でも親に伝えることが当たり前だ。

後から知った親は激怒するだろう。


親子関係が悪くなってしまう可能性があることを恐れてか、
伝えることで私をもっと追い詰めてしまう可能性があることを恐れてか、
少し様子を見ようと思ったのか、
真意は分からないが彼女は言わなかった。

これを母に告げたのは私が大人になってからで、
本当に母は何も知らなかった。



1回だけ家でもこの剃刀事件があったそうなのだけど、
それはかまいたちのせいということになっていた(笑)

なんとなくふわっと脳裏にその時の母と祖母の慌ててビックリした顔が浮かんだ。



私が託児所で悪事を働いてやってはいけないことをしてしまったときも、
後から母にこっぴどく怒られるだろうと思っていたのに先生は私に力強く怒っただけで、
母に伝えなかった。



やってはいけないことだけど、
それが寂しさからの行動だと彼女は分かっていたのかもしれない。


今思うと、
あの時に母に色々と伝えられていたら、
私も母もメンタルがもっと不安定になっていたかもしれない。


自分の子供がそんなことをしていると知ったら母はショックで働けなくなってしまったかもしれない。

母に知られていたら私は、
こんなことしてないでもっともっとしっかりしなくちゃという思いが強くなって子供としての感情がなくなってしまったかもしれない。


先生は夜中に働くお母さんや子供たちを何人もみてきて、
彼女たちの辛さや葛藤、
子供たちの悲しみや寂しさなどを理解していったのか。


先生の包容力と器量は私には真似出来ない。

彼女の私を含む子供に対する愛情は、
何かをしてあげるとかお世話をするとかそんな簡単なものではない。



我が子として接し、
普通の親と普通の子供としての愛情を私にくれた。


自分の子供だから、
悪いことをしたり剃刀を使っても、
私が怒り、私が見守れば十分だと彼女は思ったのだろうか。



もちろんあれから今までの間、
自分を剃刀で傷付けるようなことは一度もしていない。


“剃刀”と“6歳の子供”と聞くと恐ろしい話だけど、
私の脳はこの出来事を嫌な思い出としてインプットしていない。



死にものぐるいで精一杯働いて私たちを育ててくれた母のことを恨んだことも一度もない。


笑ってこの話をできるくらいだ。


それはその後の先生との日々が温かいものだったからに違いない。

何のトラウマもない。


思い出すのは先生の手の温かさと、
私の片えくぼがすごく凹むくらい無邪気に笑う姿。


託児所を卒業してからも、
先生がカラオケ大会に出場すると聞けば見に行ったし、
成人式の振袖姿も見せに行った。


私に子供が生まれてからも先生に何度か会いに行って、
息子を何度か預かってもらったこともある。

私が小さい頃に描いたピカチュウやライチュウのイラストをまだ保管してくれていた。

当時の写真も残っていたし、
母と出かけた時に先生にプレゼントしたお土産まで残っていた。


去年体力の限界で託児所を閉めてしまった先生だけど、
45年も続けていたことに驚く。


本当に心から子供が好きなことが伝わってくる。


この45年の間に救われたお母さんたち、
子供たちがたくさんいるのだろう。



私には数年間、2人の母親がいた。   

それは誰もが経験することが出来ない私の特権だ。


私の手には何の傷もなく、
先生の愛情が今でも刻み込まれている。

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