マガジンのカバー画像

千住の観察記

4
江戸東京・千住のまちの空間構造を観察する手記。 通りや路地、古い建物などでつくられるまちの雰囲気や“らしさ”の本質を、ぼくの目が語ります。
運営しているクリエイター

記事一覧

日常の創造性 〜現代風金継ぎ〜

日常の創造性 〜現代風金継ぎ〜

ぼくの目は、割れた器と破片の間をつないだ。

人生を豊かにするものは何か

建築や都市について考える日々だけれど、日常の小さな出来事の積み重ねが、そこに創造性ががあるかどうかが人生の豊かさにつながる、と思う。

金継ぎと出逢った

やちむんが割れた。
少し前から興味があったことだけど、何かカタチをつくりたい欲求にかられて、金継ぎをやってみた。
現代風金継ぎ、というやつだ。

深い。繕うということは

もっとみる
都市の極相・まちの極相

都市の極相・まちの極相

もう何年か前の話。ぼくの目は、日光の戦場ヶ原あたりを歩いていた。ふと思う、この湿原はやがてどうなるのか。そもそもどこへ向かっていくのか、と。約2万年前の火山活動がきっかけに長い時間をかけて変化し続け、今、"たまたま湿原"であるのか。それともこれが"終わり"なのか。
stay home 生活で、また少し考えてみた。この夏の自由研究。答えはないけど。

森林の教え都市は、まちはどこへ向かっていくのか。

もっとみる
千住のコンポジション 〜その奥へ〜

千住のコンポジション 〜その奥へ〜

ぼくの目が、千住のまちの空間構造について、見て、歩いて、考えてきたこと。少しまとめてみます。

江戸、東京、千住

江戸四宿のひとつとして栄えた千住は宿場町。1625年に建設され、日本橋から2里(約8km)に位置する初宿。日光街道、奥州街道へ続く江戸の北の玄関。隅田川の舟運が盛んで河岸と街道が交差するため、たくさんの人やモノが行き交った。
約400年後の現在。舟運が鉄道に変わったものの、時代の変化

もっとみる
千住のコンポジション 〜 序 〜

千住のコンポジション 〜 序 〜

ぼくの目は、地図と頭の中にある千住を行ったり来たり。

江戸時代、千住は宿場町。江戸四宿のひとつとして栄えた。1625年に建設され、日本橋から2里(約8km)に位置する初宿。日光道中、奥羽道中へ続く江戸の北の玄関。たくさんの人やモノが行き交う、まさに千住は「通り」のまち。

今、わずかに残る建物や蔵は、その時間をつなぎとめているかに見える。

よく目を凝らしてみると気づくことがある。「通り」に面す

もっとみる