ぼくの目

都市観察者。専門は建築・都市デザイン。あたりまえの日常を疑う目で、空間の本質を考えるた…

ぼくの目

都市観察者。専門は建築・都市デザイン。あたりまえの日常を疑う目で、空間の本質を考えるための観察手記。 ぼくの目が見ている千住のまち、ぼくの目が考えている千住のまち。まちを歩く。ちょっと立ち止まって、まちのエレメントやディテールを、よく観察してみる。

マガジン

  • #千住暮らしのひとコマ

    • 18本

    千住での暮らしの実際の体験談をお届けします。

  • 千住の観察記

    江戸東京・千住のまちの空間構造を観察する手記。 通りや路地、古い建物などでつくられるまちの雰囲気や“らしさ”の本質を、ぼくの目が語ります。

最近の記事

  • 固定された記事

千住のコンポジション 〜その奥へ〜

ぼくの目が、千住のまちの空間構造について、見て、歩いて、考えてきたこと。少しまとめてみます。 江戸、東京、千住 江戸四宿のひとつとして栄えた千住は宿場町。1625年に建設され、日本橋から2里(約8km)に位置する初宿。日光街道、奥州街道へ続く江戸の北の玄関。隅田川の舟運が盛んで河岸と街道が交差するため、たくさんの人やモノが行き交った。 約400年後の現在。舟運が鉄道に変わったものの、時代の変化をまちの中に刻み続けている。品川、内藤新宿、板橋、そして千住。江戸から東京へと変

    • 日常の創造性 〜現代風金継ぎ〜

      ぼくの目は、割れた器と破片の間をつないだ。 人生を豊かにするものは何か 建築や都市について考える日々だけれど、日常の小さな出来事の積み重ねが、そこに創造性ががあるかどうかが人生の豊かさにつながる、と思う。 金継ぎと出逢った やちむんが割れた。 少し前から興味があったことだけど、何かカタチをつくりたい欲求にかられて、金継ぎをやってみた。 現代風金継ぎ、というやつだ。 深い。繕うということは、機能を復元する意味を超えて、新しい生命を吹き込むことなんだと感じた。 人がつ

      • #千住暮らしのまちめぐり【千住のエスノグラフィー】

        ぼくの目は、5月の千住のまちをめぐる。 千住のまちにある古いもの、新しいもの。このごちゃまぜのまちを好きな人がたくさんいる。僕らはこのまちを将来の子どもたちに残していきたい。 でも、建物の新陳代謝が激しくて、まちの様相は刻一刻と変わっていく。古くても価値がある建物を残すことは容易ではない。市場原理というものはものすごく強くて、ときに冷たくて、正論や感情だけでは歯が立たない。 古くても、まちの顔になるような建物が残ってほしい。なんでも新しいものに建て替えてしまう、スクラッ

        • 都市の極相・まちの極相

          もう何年か前の話。ぼくの目は、日光の戦場ヶ原あたりを歩いていた。ふと思う、この湿原はやがてどうなるのか。そもそもどこへ向かっていくのか、と。約2万年前の火山活動がきっかけに長い時間をかけて変化し続け、今、"たまたま湿原"であるのか。それともこれが"終わり"なのか。 stay home 生活で、また少し考えてみた。この夏の自由研究。答えはないけど。 森林の教え都市は、まちはどこへ向かっていくのか。変わりゆく街並みは、人間の活動のカタチが現象として表出したものだとしても、ある意

        • 固定された記事

        千住のコンポジション 〜その奥へ〜

        マガジン

        • #千住暮らしのひとコマ
          18本
        • 千住の観察記
          4本

        記事

          「城壁」と暮らす 2

          土手を「城壁」と見立てる。千住は城郭都市だ、の続き。 ぼくの目は、隅田川の「掃部堤(かもんづつみ)」の跡である墨堤通りをなぞるように歩いていた。 いまの千住のまちを囲む荒川や隅田川の「土手」は、ケヴィン・リンチの著書「都市のイメージ」(The Image of the City)でいうところの「エッジ(都市の境界)」だろう。この墨堤は、昔のまちの「エッジ」であり「パス(道、通り)」である。歩いてみると、堤防としての役割が失われ、市街化の中でその姿を埋もれさせながらも、微地形

          「城壁」と暮らす 2

          空間を使いこなすリテラシー 〜京都編〜

          ぼくの目は、、、京都のまちが好き。 言うまでもないが、京都は、都市計画も建築も古く、人々はそれをうまく使いながら、新しいものも取り入れながら、都市を更新し続けている。東京とは違う時間、空間を感じずにはいられない。 寺社や古民家がそこかしこにあり、碁盤の目の通りや路地を抜ける感じも、いつ来ても京都らしい。たまに東京から来た者には古い京都に目が行きがちだが、「古くて新しい京都」にこそ、その価値が隠れていると思う。 K36(ケーサーティーシックス)は、京都・清水小学校の校舎をリ

          空間を使いこなすリテラシー 〜京都編〜

          風化の美学 〜空間の素材〜

          ぼくの目は、いつの間にか千住のまちのシワばかり気になっていた。 「いつまでも若く見られたい」 若さに固執する姿は美しくない、と思う。最高齢現役モデルのカルメン・デロリフィチェは、加齢(エイジング)もファッションも自分のスタイルに変えている。その姿を見て、多くの人は美しいと思う。 まちも同じである。まちの空間に時が刻まれている姿は、人々を魅了する。わびさびの文化をもつ日本人であれば敏感であるはず。例えば、欧州の国々へ旅行して、その街並みに感じる美しさだってその類。表層的な

          風化の美学 〜空間の素材〜

          靴たちの声

          今朝、朝顔が咲いた。 1年前、ぼくの目は、誰を迎えるでもなく、日本家屋の玄関にあった。 石畳、敷石、玄関土間、沓脱石、上り框。玄関の脱ぎ置かれた靴。どの靴がどういう順番でどう脱がれたのか、なんとなく想像したくなる。慣れた靴、よそよそしい靴、行儀の良い靴、遅れてきた靴、とりあえずの靴。 そこに人の存在を想像できる空間は、人がいなくてもあたたかい。指紋のように形跡が残っている。それは靴にだけでない。家や庭をカタチづくる木や石の素材が丁寧にしつらえられている。長い時間それらが丁

          靴たちの声

          「城壁」と暮らす

          ぼくの目は、千住の大踏切の青い桜並木をくぐった先で土手に突きあたった。 土手を「城壁」と見立てる。千住は城郭都市だ。響きがいいが中身は村に近い。千住の四方を荒川、隅田川、綾瀬川が囲んだため、洪水という侵略への防御として「堤」が築かれた。もちろん西洋のそれとは違う。 ケヴィン・リンチの著書「都市のイメージ」(The Image of the City)に、都市のイメージを構成する要素のひとつとして「エッジ(都市の境界)」がある。 千住のエッジはどれだけの人に認識されているの

          「城壁」と暮らす

          考える警告

          ぼくの目は、千住の飲み横から横道に少し入ったところにあった。 まちを歩いているといろいろなものが無言で訴えてくる。 「給水、生きている 平成30年7月」 使用中の給水管だから工事などの時は気をつけてね、くらいの意味だろうが、ドキュメンタリー番組のタイトルのような、こんな詩的な言い方するセンスにニヤつく。千住のまちにも例外なく、あふれている文字たち。 「ここに止めると     です!」 その下には「No Bicycle Parking」と真っ二つの自転車のピクトグラム。

          考える警告

          千住のコンポジション 〜 序 〜

          ぼくの目は、地図と頭の中にある千住を行ったり来たり。 江戸時代、千住は宿場町。江戸四宿のひとつとして栄えた。1625年に建設され、日本橋から2里(約8km)に位置する初宿。日光道中、奥羽道中へ続く江戸の北の玄関。たくさんの人やモノが行き交う、まさに千住は「通り」のまち。 今、わずかに残る建物や蔵は、その時間をつなぎとめているかに見える。 よく目を凝らしてみると気づくことがある。「通り」に面する建物、その土地のカタチ「地割り」は間口が狭くとても長い。この「通り」とうなぎの

          千住のコンポジション 〜 序 〜

          ぼくの目 prologue

          ぼくの目は、江戸東京・千住のまちを歩きます。 千住には、たくさんの人が歩いているのに、誰も気に止めないような「空間」がある。厳密には「空間」をつくるエレメントやディテール。それらは「千住の魅力の本質」なんじゃないかと思う。でもその全体像は、言語化も可視化もうまくできない。だから、ぼくの目は、見たことや考えたことを記述することにした。 砂浜の波の引き際。寄せる波は砂をあおり、返す波は砂を海へ引き込む。動かない貝殻や小石。繰り返す波が描く模様。似ているようで似ていない。時間と

          ぼくの目 prologue