千住のコンポジション 〜 序 〜
ぼくの目は、地図と頭の中にある千住を行ったり来たり。
江戸時代、千住は宿場町。江戸四宿のひとつとして栄えた。1625年に建設され、日本橋から2里(約8km)に位置する初宿。日光道中、奥羽道中へ続く江戸の北の玄関。たくさんの人やモノが行き交う、まさに千住は「通り」のまち。
今、わずかに残る建物や蔵は、その時間をつなぎとめているかに見える。
よく目を凝らしてみると気づくことがある。「通り」に面する建物、その土地のカタチ「地割り」は間口が狭くとても長い。この「通り」とうなぎの寝床のような「地割り」は、宿場町であった時間をつなぐ千住のコンポジション。
このコンポジションは、「通り」からうなぎの寝床の深くへアクセスする路地をつくりだす。路地は、「通り」のパブリックスペースから住宅などのプライベートスペースに、領域を変化させる奥行きを持つ。
時間のキャンバスに描かれた千住のコンポジション。最も基本的で最も古い、まちの空間の本質のひとつ。ここにこの「通り」の奥行きを使いこなすストリートスマートな人たちが潜んでいることは、想像に容易い。
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